だれにも読めないらしい、ニーチェのツァラトゥストラを読み解く Part1
皆さま、こんにちは!
今回から、ニーチェのツァラトゥストラを読み解くという企画で記事を作成していきたいと思います。
本サイトにも昔、ツァラトゥストラの哲学と老荘思想を学び合わせて「力への意思と無意志の柔弱」というような、自分なりの信念を書いた記憶があるのですが、あれから10年が経ちました。
その知識や経験を基に、これから何回かに分けてお話をしていく企画です。
ツァラトゥストラの冒頭には、次のような事が書かれています。
この本は「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」と。
この意味は、今だからよく分かります。たとえ当時分かったつもりになっても、人生経験を積んで改めて読んでみると、新たな発見があるためです。
岩波文庫さんで出版されている、「ツァラトゥストラはこう言った」に書かれている内容を基に、私の解釈を交えて進めていきます。実社会でどのようにニーチェ哲学を活用してきたか、そして活用すべきかをお話していけたらと思います。
それでは、今回は第一回ということで、第1部の「ツァラトゥストラの序説」、超人とおしまいの人間たち、について初めから考察していきます。
1. 考察
まず、始まりの一段落で、ツァラトゥストラの半生が描かれています。
彼は30歳になった時、ふるさとを捨てて山に入りました。そこから10年間、彼は孤独を楽しんで暮らしていました。
そして40歳になった頃、彼の心に変化が生まれ、太陽に語りかけます。そこから物語が始まります。
まだ1ページも進んでいませんが、重要だと思うので、ここで一旦考えてみます。
なぜ、ツァラトゥストラは故郷を捨てて、山にこもったのでしょうか?
なぜ、10年も孤独を楽しんでいた彼の心が変わったのか?
なぜ、太陽の前に立って、太陽に語り掛けたのか?
なぜ、40歳から話が始まるのか?
まず、一つ目、ツァラトゥストラが故郷を捨てて、山にこもった理由ですが、30歳になるまでに何か辛い経験があった、または経験をしてきたらしい事が、最初の数行で示唆されています。
ここでは描写されていませんが、彼の若い頃の葛藤は後で少しだけ出てくるので、その時にもう少し突っ込んでお話ししたいと思います。少なくとも、一人で山にこもるほど、辛いことがあったのは間違いないでしょう。
次になぜ、10年も孤独を楽しんでいた彼の心が変わったのか?ですが、これはその次の疑問である、太陽の前に立ち、太陽に語りかける事とリンクしています。
それは、彼は自らの存在が太陽と同じと気づいたからです。
太陽は無条件で人々を含む、あらゆる物を温かい光で照らします。光を浴びる、私たちの存在があるからこそ、太陽は幸福なのではないか、と彼は太陽に問いかけています。
つまり、ツァラトゥストラは彼が10年間山で蓄えてきた知恵を、そして人類にとって祝福となるはずの教えを、太陽のように人々に贈りたい、分かち合いたいと熱望するようになったという事です。
これが、彼の心が変わり、太陽に語り掛け、山を下りる決断をした理由です。
ただ、同時にそれは、太陽が地平線に落ちていくように、彼にとっての没落の道であるとも、彼自身理解しています。
ここで一つ付け加えておくと、日本も、天照大神を太陽の神として崇めていますし、生命に不可欠な光を無尽蔵に照らしてくれる太陽を崇めるのは、それ自体は別におかしい事ではありません。
後、没落という表現についても一言あった方が良いかと思います。私はそうだったので、おそらく他の方もそうじゃないかと思うのですが、この「没落への道」という表現で、引いた方もいらっしゃるはずです。
普通、誰が好き好んで不幸への道を自ら進んで歩もうとするでしょうか?そう考えると、没落を肯定するニーチェの思想に違和感を感じるのは、ごく自然の反応だと思います。
私の考えを述べますと、一つ目として太陽が地平線から上り、そして下りていくのが自然なように、生きているからには、同時に死に向かって進んでいる、そういう自覚を持ちなさいという意味もあるのかな、と思っています。
不幸と幸福は、陰と陽のように表裏一体の関係だからかもしれません。
また、10代や20代の人生の上昇期ではなく、40歳からの下降期にツァラトゥストラの物語が始まるのは、人生の半分が終わり、これから地平に向かって下りていく、その過程で完成される思想・哲学だからかもしれません。
それと、後の内容を考えると、「没落しなければならない」というのは、死という現実を勇気を持って受け止め、自分の運命と、この世の真理に誠実に向き合いなさい、と自分自身に発破をかけているようにも聞こえます。ちなみに、勇気と誠実とい言葉は、物語の重要キーワードです。
あと、「高みに上るからには、落ちる事も当然覚悟しなさい」という意味もあると思います。
より良く生きようとするから、妥協なく己の道を進もうとするから、死の概念が生じ、そして破滅に近づくというのは、ニーチェ自身の人生を見ても、何となく分かります。
このように、ニーチェにしても、ツァラトゥストラにしても、彼らは一般の人が考える善人ではありませんし、書物も一般向けの内容でない事は間違いありません。
2. 実体験
ここで、今までの内容を基に、ツァラトゥストラの教えをどのように自分の人生で生かしたかを考えてみたいと思います。
まず私と彼のここでの共通点を述べると、「30歳ごろに俗世から距離を置いて生活した」という部分です。
彼は山にこもり、私の場合は畑を借りての自給自足でしたが、どちらも人里離れて暮らそうとした点については同じですね。
他にも共通点はありますけれど、まだ本の内容がそこまで進んでいないので、今回はここまでにします。
ただ私の場合、この行動についてはニーチェの影響もありましたが、それは「力への意思」など、新たな道に踏み出すための勇気を鼓舞する精神的な意味合いが強くて、実際に自給自足やニワトリを飼おうと思ったきっかけは、熊沢蕃山の武士土着論になります。
熊沢蕃山という方は、西郷隆盛や高杉晋作など、江戸時代から明治にかけて、多くの志士(幕府側、維新側の両方)に影響を与えた方です。
当時の私は、食料を自分で確保し、大地に根差した武人の生き方に憧れてました。昔で言う、防人と若干似ているんでしょうか?そのため、実際に畑を1反借りて、鍬や鋤を刀に見立てて畑をずっと耕していました。
今までの常識や価値観を、第3者の視点からじっくり世の中を見つめる事ができたので、貴重な体験だったと思います。この道楽道サイトも、その過程で生まれたものです。
今も生き方の方針は変わっていないのですが、ここ数年で気づいた、私の生まれ持った資質を考えると、農業で生計を立てるよりも、ビジネスの世界で、一人の戦略家として生きるのが正しいと思っています。
当時の自給自足に挑戦した経験は、人から否定的に見られることもありますが、私にとって非常に有意義な時間でした。肉体的には疲れましたけど、同時に充実感もありました。
3. まとめ
今回はここまでとします。
本の内容で言うと、まだ3ページ分しか進んでいないのですが、このペースでツァラトゥストラを語っていくと、一生かかりそうですね。それだけ、重みのある書物と言えるでしょう。
ここで、ニーチェの最高傑作ともいわれる、このツァラトゥストラの物語は、彼自身がこのように評価しています。
「わたしはこの書で、これまでになかったような人類への大きな贈りものをした。何千年の未来へひびく声を持つこの書は、およそこの世にある最高の書、・・・つるべをおろせばかならず黄金と善意がいっぱいに組み上げられてくる無尽蔵の泉である」、と
言い過ぎの感もあるかもしれませんが、私が読んできた書物の中で最高の一冊であることは間違いありません。
ちなみに、他にも私にとって最高の書物がありまして、それは陽明学に関する本です。厳密には、王陽明の教えを学んで実践した、日本人の書いた本ですけれど、それはまた別の話です。
後ここで、ニーチェの考えがすごい事に変わりはありませんが、だからと言って、いつまでも彼の教えを今後も後生大事に守っているようでは、進化がないと思います。
すでに100年以上経っているのですから、彼を超える、または超えようとしている私のような人間がもっといるなら、ぜひ会ってみたいと感じます。
ニーチェ自身、彼の思想・哲学を学ぶ人たちに求めていたのは、信者や弟子になる事ではなく、彼を超える人が出現するのを望んでいました。ツァラトゥストラの中でそのような表現がありますので、おそらく間違いないでしょう。
とりあえず、今回はここまでとします。続きは、また次の記事で。