哲学にご興味ある方へ-時代を超えた自己修養を実践中です

最初に:本ページの内容は2022年7月27日に書かれたものです
(上記の写真は、本気で学問を究めようと志した時に撮った写真です)

皆さま、こんにちは

何回かご訪問いただいている読者の方であれば、ご存知の事と思うのですが、当サイトでは『学問を究める』ことを主要テーマとしています。したがいまして、哲学を含む学問に関する記事も、今まで色々と書いてきました。

この度、私が実践している哲学を、ビジネスサイトの方で大幅に充実させましたので、こちら道楽道サイトでもご紹介したいと思います。

過去記事をご興味持って読んでくださる方は、せっかくなので最新記事も合わせてご覧ください。


1.当道楽道サイトで書かれた哲学とは?:背景とクオリティ

最初に哲学や思想を学び始めたのは、東日本大震災が起こった後の2012年頃でした。私が住んでいる場所は、震源地に近かった石巻市ですので、一夜にして様変わりした町を見た時の衝撃は、相当なものだったと記憶しています。当たり前だと思っていた価値観・常識がそこで根底から崩れてしまい、人生を一から見直し、学び直すきっかけとなりました。

30代の頃(つまり2010年代)に学んだ哲学のほとんどは、性善説・理想主義・自然主義に基づいています。その傾向は、当サイトの内容からも読み取れると思います。記事の品質は、自分でも素晴らしいと思えるものもありましたが、中には相当未熟なものもありました。

SEO対策(サイトの検索結果を上げる対策)のためには、内容が未熟な記事は削除してしまった方が良いのですが、道楽道サイトは商売で運営しているわけではないですし、自分を完璧に見せるつもりもないので、気にせずそのままにしています。逆に残しておいた方が、志を持って学べば、元々弱い人間でもこれだけ強くなれる、という証明にもなると今は考えています。

30代の頃に書いた哲学(当サイト)と、現在40代で書いている哲学(漸コンサルティングサイト)の違いを確認していただければと思います。10年の自己修養の結果、人間的成長の度合いを見る事ができます


「人間は、現に生きている現実の中で、時代に沿い、あるいは時代に抗してつねに学ばねばならない。変化変遷する時代のなかで、己の信ずる生き方を貫くこと。日々、勉強し自己研鑽して向上を図り、人生のよき友、真実の友を得て人生の貴重な時間を共有する。つねに全力を出しきることに心を尽くして、名声、出世立身といった現世価値や周囲の評価を自尊心の支えにしない。学ぶことによって、不遇・逆境もまた甘受すべき運命であることを知り、自足の境地に安んじることにある」

孔子『論語』学而編、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳



2.最新の私の哲学とは?:全体像と特徴

現在私が実践している哲学を、簡単にご紹介いたします。専門用語が多いので、哲学初心者の方にはとっつきにくい内容となっております。注意点として、自分の『経営哲学』を理論として文章にすると、以下のようになるという事であり、実際の仕事ではこのようなお話はいたしません。理屈の代わりに、行動で示します

一言で言うと、「日本人が長年培ってきた武士道精神に、現代社会の知識・スキルを組み込む事で、個のポテンシャルを最大限に引き出した、時代を超える学習プログラム、かつ自身の人間的成長をも加味した包括的な『経営哲学』」となります。

2-1.人間的成長を加味した『経営哲学』、時代を超えた学習プログラム

私の場合、王陽明の『到良知』とニーチェの『力への意志』を基本的指針とし、孔子の『修己治人』、陽明の『知行合一』、大塩平八郎の『理気合一』を基本フレームワークとして、全体の自己修養モデルとしています。

そこに陽の属性を強めるため、ニーチェの『永劫回帰』やエマソンの『自己信頼』を加え、さらにビジネス問題に現実的な対処ができるよう、マキャベリの『マキャベリズム(現実的合理主義)』を組み込んでいます。

孔子の修己治人、王陽明の知行合一、大塩平八郎の理気合一サイクル

過去の偉人たちから学んだ哲学・思想を、自らの気質・性格を考慮した上で、自分に合った自己修養プログラムまたは『経営哲学』として実践しています。

注:タイプが異なれば、自己修養の内容も異なります。

2-2.武士道精神と現代社会の知識を組み合わせる理由

なぜ武士道精神を学んだり、現代社会の知識・スキルと融合させるかと言いますと、二つ理由があります。

一つ目は、己自身に打ち克つためです。自分に勝つためには、まず己を知る必要があります。そのために自己修養が必要になります。

世の中には完璧な教えなどありませんので、人間的成長に必要となる学問も一人一人異なります。例えば、孔子の『修己治人』や『仁』の教え(儒教)は、一見バランスも取れていて完成された学問と言えますが、2000年経ってこれだけ教えが広まった現代でも、あまり精神的な進化が見られません。他の教えも同様です。

なぜかと考えてみたのですが、私が思うに、画一的な教育に原因があったと考えています。国語や算数など、人が生きていく上で基礎となる学問であれば、皆が平等に学習できる教育方法にも十分意味がありますが、己を知り、人間性を高め・深めるような学問の場合、個人性を第一に考える必要があります。

少なくとも哲学に関して言えば、教えそのものに正しいも間違いもないです。個人・家族・社会・自然の間で調和が取れているかどうかが重要なので、それを正誤の判断基準にすれば良いと思います。調和が取れ、心身共に満たされた生活を送れるのであれば、学問は、哲学・儒教・仏教・キリスト教・道教など、どれを選んでも構いません。もしいずれも必要なければ、それもまた良いと思います。

そして二つ目が、一流の人々に勝つため(国際ビジネスで勝つため)です。

私は10年間オーストラリアに住んで、世界中の人々と一緒に大学で勉強してきましたので、日本が現在置かれている状況もよく理解しています。ニュースを読んでいると、日本人は現在、欧米社会が作ったルールに合わせて、同じ土俵・条件で戦おうとしていますが、はっきり言いますと、それは無謀な試みと言えます。未知なるものへ挑戦する勇気や行動力に大きな差がありますので、初めから分が悪いからです。

そこで、私がここで言いたいのは、「日本人は自らの歴史・伝統を見つめ直し、その上で各人が行うべきことを全力で行って、世界と勝負していくべき」という事です。頭脳だけでなく、日本の歴史・伝統文化を最大限に活用すべきです。

各人が行うべきことを全力で行って」の部分を王陽明の哲学で言い換えますと、「あなたの良知に至り、良知を致しなさい」となります。また、孔子の哲学ですと『知命と立命』という表現になり、同じ意味になります。陽明の『知行合一』という言葉は、よく学校の校長室とかに飾ってあったりしますが、そこに含まれている意味は、読んで字のごとく「学んで行動すること」だけではありません。『到良知』の二つの意味や、「学んで行動しないこと」も含まれています。人に教える際は、この点に気を付ける必要があります。


「孔子は言う。万物の創造者である天が各人に下した『天命』の意味を理解し、これに案ずることができないものは、君子とは言えない。人間が築き培ってきた歴史的伝統や人間社会における取り決め事・約束事である『礼』というものが理解できなければ、世の中で生きていくことはできない。文明の累積・象徴である『哲学や思想』といったものを知らなければ、自分はもちろん、社会や人間一般のことを理解できるはずがない」

孔子『論語』最終章、『偉人は未来を語る』より 大橋健二氏訳


元々武士や儒教の国だったのに、明治以降その歴史・精神性を根本から否定しました。それはそれで当時仕方ない面もありましたが、現在、代償として様々な面において新たな問題が表面化しています。その大元をたどると、私は日本人としての精神性が失われたからだと考えています。

古来よりの武士道精神が、持続可能な社会、そして現代の知識や技術の発展に生かせないかどうか、もう一度考え直してみる時期ではないでしょうか?

そういう思いを込めて、自分の信じた経営哲学をビジネスで実践しています。

以下の引用は、『日本株式会社を作った男』とも言われる渋沢栄一の言葉です。人生の書として孔子の『論語』を座右に置き、その経営哲学を『論語と算盤(そろばん)』という言葉で表しました。同じ儒教の流れを組む、王陽明の教えを私は学問の基礎とし、そこに現代ビジネスの知識を組み合わせましたので、渋沢の経営哲学とは親和性があると思います。


「如何に仁義道徳が美徳であっても、生産殖利を離れては、真の仁義道徳ではない。生産殖利もまた仁義道徳に基づかざれば、決して永続するものではない。……わが心に安心立命(あんじんりゅうめい)を得て、総じて、外物を頼まず、身に仁義道徳を行いて、国家社会を益し、その間に哲理を講じ、文学を玩味し、歴史を評論するだけの知識を持ち、而して経済の事に十分通暁している者でなければ、真正の実業家とはいわれない」

渋沢栄一『青淵先生訓言集』より



4.まとめ

以上となります。いかがでしたでしょうか?

自分が培ってきた哲学・信念を実践する場として、『漸コンサルティングサイト』があります。せっかく哲学系のページをいくつかご覧になっているのに、最新の内容をご覧いただかずに離れてしまうのはもったいないと感じましたので、今回書きました。

別に商品などを売り込むつもりはありませんので、哲学にご興味ある方は、ビジネスサイトの方も試しにご覧になってみてください。

おわり


「人が現実に生きているのと、人間いかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、何事につけても、善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを、習い覚える必要がある。そして、この態度を必要に応じて使ったり、使わなかったりしなくてはならない。……しかし前にも言ったように、もし出来ることなら善から離れないよう、そしてやむを得ない時は悪にしたがう道も心得ておかなければならぬ」

マキャベリ『君主論』より