自然農法 わら一本の革命

本書は「自然農法」の創始者、福岡正信さんにより書かれた書籍です。福岡さんは多くの方から支持されている有名人です。自然に沿った農業に興味のある方や、現在の社会に疑問をお持ちの方は、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

内容の深さを考えると、星6つの評価でも足りないくらいです。なぜなら、私にはおっしゃっていることが完全に理解できない部分がありましたので、もしそれらが理解できれば自分の中でさらに評価が上がるかもしれません。

福岡さんは私が学ぶ目的でもある無差別智(本書では「無分別の智」)の領域まで到達したお方です。しかし一方で、福岡さんの無差別智の悟りは私が望む到達点ではありません。なぜなら現在の社会状況を考えると、理想に傾きすぎて現実性に乏しいと感じるからです。

本書を高く評価する意見は、下記のリンク先にたくさんありますのでそちらを見ていただくことにして、ここではあえて私があまり納得できなかった残りの2割の部分について主に書いてみたいと思います。

非常に考えさせられる本だと私は思います。本書を通して通常の価値観とは違った思考に触れられますので、とにかく興味がある方は読んでみてください。万人向けではないので、人によって感想や評価は変わると思います。

実は本書を最初に読んだのは、東日本大震災が起きて数か月後なんですが、その当時は読んでもあまり特別な感想はありませんでした。何を言っているのかほとんどわからなかったからです。まるで別の世界の住人に感じました。

今は福岡さんのお考えを自分なりに解釈できますからすごい人だというのはわかりますし、同時に私の考えと若干違う部分も散見されたので、なぜそう考えるのか自分なりの良い考察ができました。

無の哲学

例えば、福岡さんが自然農法を始められたきっかけとして、その元となった無の哲学について次のようなことを語られています。
「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である」
「人知・人為は一切が無用である」

福岡さんは上記の考えがある時突然閃いたとの事です。ですから、本書を読んでもなぜこの世のあらゆる物や行為に意味がないのか、無価値なのかが語られていません。理由の説明がなければ、当時周囲の人たちから理解が得られなくても仕方なかったことだと思います。私も最初に読んだときさっぱりわかりませんでした。

これは虚無主義と通じるものがあります。というか言葉が違うだけで、意味は同じだと受け取っています。私もこの世のすべては無意味だと思うこともありますし、福岡さんの言っていることは理解できます。

この世が無意味で無価値であるということは、決して悪いことではありません。私はそれに気づいて、やっと解放感というか肩の荷が下りたような感じがしました。この点は福岡さんも無に気づいた当時、晴れ晴れとした気持ちになって生き返ったような感じだったと書いてありますから、同じように感じたんだなあと共感できます。

虚無思想について詳しく知りたい方は、頼藤和寛さんが書いた「人みな骨になるならば―虚無から始める人生論」を参照してください。考察ページ「自然の法則と宇宙の法則-人生の意味についても考察」でも多少虚無について触れています。

福岡さんは本書の中で人知を否定されていますが、私個人の考えを言えば、人に知恵があるのは多分理由があると思います。こちらの考察ページ「弱肉強食という世の理と自然から見た人の存在意義に関する考察」でも書いていますが、それは「人類がバランスの崩れた自然の生態系を調和して維持するために存在するのではないか」という仮説です。

教育は無用?

本書20ページで、人類は自らが病弱になる環境を作っているから、より多くの医者や高度な医療技術が必要になると説明されています。これは現在の増え続けている莫大な医療費を考えれば、納得できなくもない思考だと思います。

しかし、その論理で教育は無用とまでおっしゃるのは、さすがに同意できません。学ぶ行為や努力が無意味で無価値というなら、それは虚無主義の観点からも納得できます。私の学びが無意味なのも当然のこととして受け入れます。しかし、それでも私は気にせず学び続けます。学びは無意味で無価値でも無用ではないと思います。

福岡さんがどういうつもりで教育を無用とおっしゃったのか、もう少し詳しく知りたいです。山に35年籠って1冊も本を読まなかったと言っていますから、多分そのままの意味だとは思うんですけど……そのような生き方では動物と変わらないような気がするんですがどうなんでしょうか。

自然農法が普及しない理由

自然農法が中々世の中に普及しませんが、福岡さんはその理由を今の世の中があらゆる点で専門家され、高度化されてきたために、全体的な把握が非常に難しくなったためと語られています。私もそれには全く同意するところです。

ただし、普及しないのには他にも理由があると思います。

福岡さんは、ご自身の意見が明確で、はっきりと主張します。そのためにわかりやすいのですが、人によっては快く思わない人も出てくるでしょう。

私自身を思い返しても、自分の意見をよく人に話していました。なぜ自然農法を行うのかとか、資本主義や競争社会の問題点などいろいろなことを聞かれてもいないのに、べらべらとしゃべっていました。

例えば、素晴らしい映画やドラマを見れば、その感動を他の人にも伝えたくなるでしょう。それと同じことです。でも、哲学はエンターテイメントじゃありませんし、普通の人はあまり深く考えません。そのような人達に、いきなり哲学的な話をした所で引かれても当然のことです。

話して人に引かれる位ならまだましで、問題は自然農法の正しさを人に話すと、相手の生き方をそのまま否定することになる可能性があるということです。誰でもそうだと思いますが、自分の何十年の人生を突然、「あなたの生き方は間違っている」なんて言われて気分が良い人はいるでしょうか?

福岡さんは従来の農業技術を否定し、科学技術を否定し、西洋の哲学を否定しています(86ページ参照)。それらを前提にして自然農法はいくら正しいと主張しても、彼らから見れば自分の信念を否定する敵に見えてしまいます。場合によっては対立構造を生みかねません。こうなると正しいか正しくないかは問題じゃなくなります。正しいことが必ずしも受け入れられるとは限らないのが現実です。

話している本人は価値観を押し付けているつもりはなくても、聞いている人は場合によっては考えを押し付けられたと感じることもあると思います。

自らの信念を持って生きている人であれば、他の人の異なった人生哲学を冷静に聞けますし、気にしないと思うんですが、世の常識を疑問を持たずに生きていたり、迷いを持ちながら生きている人にとっては、自分の人生を否定されたように感じて過敏に反応される場合があると思います。

自らを思い起こしても、自分が迷って生きていた時は人の意見を聞こうとする余裕はなかったですし、痛い所を付かれると過度に怒ったりしたものです。ですから、今思うといろんな人たちに失礼なことをしてきたと反省しています。

ですから今のよろずは、人と会う時にはほとんど自分の考えは話しません。その代り、自分の信念やそれを元にした行動はすべて当道楽道サイトに書いていこうと思っています。やはり話すなり文字で書いたりしないと、自らの行動の裏にある熱意や信念が伝わりませんから。人に伝わる可能性がある限り、書いていこうと思っています。

よろずが聞きたかった質問

本書を読んで私もたくさん考えたり疑問に思ったことがあるので、ご存命だったら福岡さんに聞きたかった質問がいくつかあります。

その中の1つは、

「なぜ自然は人を知恵ある生き物として生み出したのか?」

ということです。

6つ星評価の理由と現実の社会状況

本書の深い内容を考えれば6つ星の評価で当然なのですが、最初にも書きましたが、実際福岡さんの考えを実行するのは現実的じゃないと思います。何か子供にいきなりウォッカを飲ませるような、人類にはまだそこまでできないんじゃないの?と思わざるを得ませんでした。

例えば、日本国民全員が福岡さんのような無智、無価値、無為の生き方を実践したらどうなるかを想像してみればわかります。世の中がすべて同じ価値観の人たちで構成されていれば良いかもしれませんが、現状では間違いなく隣国に攻められて滅ぼされるでしょう。

本書175ページには、平和への道として「すべての人が相対観の城門を出て、野に下り、無為自然の懐に還る以外にない」とあります。相対観の部分は私も何度も考察してきたことですからわかりますが、野に下り、無為自然の懐に還ることがなぜ平和に結びつくのか私にはよくわかりませんでした。

人の成長にはプロセスがあると思います。人類全体も多分そうでしょう。福岡さんはここまで世の中の事をわかっていらっしゃるなら、もう少し多くの人に受け入れられやすい形で少しづつ人々に教え諭すことはできなかったのでしょうか。ハードルが高すぎるために、多くの人が付いていけてないような気がします。

確かにおっしゃる通り、このまま何も反省せずに人類が突き進めば自滅するか自然に滅ぼされる運命をたどる可能性が高いです。でも、一方で知恵を否定して自然に回帰しても、今度は同じ人間に滅ぼされると私は考えます。それは歴史が証明していると思うのですが、福岡さんは私の考えを「同時発生の同時悪」と言われるのでしょうか。

私が感じた違和感はこの部分にあります。無の哲学には同意しますが、実践するには現実的とは思えなかったため完全には納得できませんでした。

少子高齢化問題

初版は1983年ですが、その当時にすでに福岡さんは近年の深刻になりつつ少子高齢化問題を予見しています。その世の中を見通す先見性には恐れ入るほかないです。

「医者が病人の生命の引き伸ばしをすると、病人と老人が地上に満ち、収容施設の病院ホームの拡充発達が行われ、医者は儲けて儲けてということになる。」183ページより

確かに医療の発展により寿命が伸びることも、現在の少子高齢化の要因の一つだと思いますが、他にもいくつかの要因が考えられると思います。

注意:よろずは本書を2年近く前に読みました。当時の記憶を頼りにして主にレビューをしていますので、記憶違いが多少あってもご了承ください。

まとめ:

私個人は福岡さんのように物事をはっきりと言う方が好きですが、このようなタイプ(私もそうです)は気を付けないと敵を作ったり対立を生んだりします。現代社会を普通に生きている人や、又は最新科学や資本主義経済を強く肯定している人たちから見れば、福岡さんの考えは自分の価値観を真っ向から否定されるわけですから、あんまり良い気持ちはしないはずです。

いくら正しい主張をしたとしても、結果的に対立や酷い時には争いが生じては意味がありません。

多分福岡さんは、私が学ぶ目的でもある無差別智の悟りの領域にいらっしゃると感じます。でも、私はできるだけ現代の社会事情も考慮に加えた上で、可能な限り現実性のある身近な無差別智の悟りを習得できないかと考えています。少なくとも私が望むのは福岡さんの到達した無差別智の考えではないと感じました。

自らの信念を何十年にも渡って実践しつづけてきたという事実は、素直にすごいと言うほかありません。ただし、批判を受けるかもしれませんが、あまり特定の人を祀り上げるのはどうかとも思います。誰か特定の人が教祖様みたいになってしまえば、それは宗教と変わらなくなってしまうでしょう。それは福岡さんも望まないはずです。

ご本人が得られた無の哲学は、ご自身が悩み苦しみ、試行錯誤の結果にたどり着いた境地だと思います。決して誰かに一から手を取って教えてもらったわけではありません。

本書は、読者それぞれが自分なりの真理を探究するきっかけを作ってくれるという意味で、非常に価値のある本だと私は思います。福岡さんが導き出した答えそのものに価値があるというよりは、その苦悩の過程や試行錯誤の末に自らの答えを見出したという点に私は本書の価値を見出しました。

おわり

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