ここでは、そもそもなぜ学問をするのかの個人的理由について話しておきたいと思います。勉強の動機がどこにあるのかをはっきりしておくことは重要なことです。社会的・客観的な観点からの勉学の重要性は、次ページで書きます。

若い頃の苦悩の連鎖

私の場合、この「なぜ勉強するのか?」で高校時代からずっと悩んできました。いつも、実生活に役立つのか疑わしい「受験のための学問」や「就職のための学問」を何のためにしなくちゃいけないのか納得できなかったので、本当に毎日がつまらなく苦痛でした。勉強に対する疑問を、周囲の人に話したこともありましたが、誰も理解してくれる人はいません。就職や大学に入るために素直に勉強できる人の思考が理解できず、同時にうらやましくもありました。

このような疑問を持つのは、多分生まれつき内向的で感受性が強いからだと思います。常に物事の本質を考えようとするので、自分で心から納得できないことには全く興味が湧きませんし、やる気も当然持てません。さらに、幼少期から心が弱かったことも悩みに拍車をかけたと思います。

精神状態が安定しないため成績も安定せず、一時は無気力になって廃人になりかけ、一時は心が苦しくて狂いかけ、一時は自分を否定して抜いて自殺を考えたりと、それなりに大変だったことを覚えています。(とは言っても、陽明学の祖である王陽明や中江藤樹の死生を潜り抜けた経験に比べれば大したことはありませんが)

半年間サイト更新を停止して、学問と自己修養に専心した理由

私が道楽道サイトを開設したのは、2013年の4月です。それから約4か月の間いろいろ記事を書いてサイトにアップしていたんですが、ある時から次第に疑問が浮かんできました。その疑問の一つ目は、自分が正しいと思っていたことが本当に正しいのかという疑いです。

基本的に私の考え(例えば総合学や自給自足など)は、常識の範疇から外れていますし、自分の頭でばかり考えていたこともあり、理屈は通っていると思ったんですがやはり不安でした。現在は、細かい部分での軌道修正は必要ですが、大道は誤っていないと確信しています。

他に、今後の日本の行く末に対する不安もありました。あまり明るくない未来が予想されるため、そのような厳しい社会環境の中で私の理想が通用するのか、そしてその逆境に自分の精神が耐えられるのか不安でした。

サイトを開設した2013年当時の私も、すでに精神的にかなり成長したと思っていましたが、まだ覚悟に曖昧な部分があると感じていましたし、ここで自分に対する答えを完全に見つけておかないと、いずれ心が折れてしまうと思ったんです。

社会のレールから外れて行動するという事は、ある意味周囲から馬鹿にされたり嘲笑されるドンキホーテになる覚悟が必要となります。私にそこまでの覚悟があるのか疑問でした。

ですから、全てを明らかにするために、2013年の8月から一切のサイト更新を停止し、農作業や買い物の時以外は、完全に家に引き籠って学問に徹することにしたんです。

その当時の私の心境を、ルソーがまさしく代弁しているので引用します。


かれらの哲学は他人のための哲学だ。わたしは自分のための哲学を必要とするのだ。これからの生涯にたいする確乎たる行動の規律を見い出すために、時機を失わない内に全力を尽くしてそれを探究しよう。

自分は今成熟して、悟性が最も発達した年令にある。自分はもう人生の下り坂にかかっている。これ以上待っていたのでは、熟慮の時ではなくなるし、自分のあらゆる能力を使用することもできなくなる。私の知能は活動力を失って、今日ならば与えられた最善を持って成しうることを、その時にはもう出来なくなる。

この有利な時機を捕らえようではないか。今は私の外部的、物質的な生活の改革の時期だ。それはまた私の知的、道徳的な改革の時期ともなってもらいたい。自分の思想を、原則を、ここではっきり確立させよう。そして、十分に考えてみた末にかくあるべしと納得した通りに今後生きていこうではないか。

ルソー『孤独な散歩者の夢想』より


文章の通り、今年で私は35歳になり人生の下り坂に差し掛かっています。半年間全ての時間を勉学に費やす事がどれだけのリスクを伴うかは、同年代の方であれば、分かっていただけると思います。

このような話を聞くと、いい歳してまだ勉強するとかいいご身分だなと思われる方もいるかもしれませんが、それに関しての判断は個々人に任せます。私にとっては必要だったから行っただけで、その結果がどうであろうと一切の後悔はしません。

ここで、孔子が晩年に自分の生涯を振り返った言葉を『論語』から引用します。


「子曰はく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず」
孔子『論語』より

意味:
私は十五歳のときに学問に励むということを目標に定め、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天の定めごとを弁え、六十になって人の言葉が素直に聞かれ、七十になると自分の望み通りに振る舞っていてそれで道を外れないようになった。

注釈:
ここで孔子の言う「天命を知る(知命)」とは、私が使用している『知命』とは意味合いが異なります。私は知命を「自己の自然に備わっている内在的使命を知る」という意味で使用していますが、孔子の場合は『運命』という意味で使っています。つまりそれは、大きな運命の力とそれを受け止める積極的な主体の力を自覚することです。

ですから、孔子の言う「天命を知る」とは「天の定めごとを知る」ということであり、つまり無限・中庸・円通・時処位の理を知るという事と同じ意味なのではないかと私は思います。


孔子も30歳で独立した立場を持った(自得)と言っていますし、「自分を知る」ということはそう簡単な事ではありません。

実際、私が尊敬する人の中には30歳を超えてから大悟した人達が何人かいます。例えば、中江藤樹・王陽明・夏目漱石などがそうです。

また、北越戦争で数倍(一説には十倍)の西軍相手に、卓越した戦略と最新兵器(ガトリングガン)で善戦して亡くなった大豪傑の河井継之助は、34歳まで遊学していました。42歳で亡くなったことを考えると、人生の晩年までずっと勉強をしていたことになります。

今になって考えて見ると、私の場合勉強のために半年間まとめて時間を取って正解でした。(本当は2~3か月で答えを出したかったんですが、見積もりが甘すぎました)

なぜならば、自分の望んだ答えが見つかりましたし、何をすべきかも分かりました。『知命』に関しては、ほぼ達成できたと思います。後は『安心立命』のために実践修養あるのみです。

今までの人生の中で精神的に大きな成長を感じた経験は四回あり、一回目はビジネスに志した27歳頃で、二回目は投資を学んだ30歳頃で、三回目は東日本大震災後の32歳頃で、四回目は34歳で現在の私となります。

これからさらに成長するとすれば、求めるのは『無限・中庸・時処位の体得』と『死生の超脱』です。本物の志士(豪傑)になってこそ、安心立命の境地で人生を終えることができるので妥協はできません。ただ、今までで一番乗り越えるのが大変な高い壁になるだろう事は覚悟しています。

一方、元々隠棲的性向があるため、どこかで静かに自己修養をしながら人生を全うしたいという思いもあります。生まれつき内向的な人であれば、私の望みを理解していただけるでしょう。

古代の祖師禅の求道者たちのように、山で自給自足しながら各々が自由きままに道を探究する生き方が選択肢としてあればいいんですが、今だとすぐに不審者として通報されそうですね。現代では家に引き籠るのが最善の求道手段かもしれません。

自分の為にも、そして同じような志を持っている人たちのためにも、いずれはそんな安息の地が作れれば良いと思っています。

もしかしたら、宮沢賢治は百姓を集めてそのような理想郷(イーハトーブ)を現実世界に作ろうとしたんじゃないでしょうか?残念ながら彼は病弱のため、農作業という肉体労働に耐えられずにすぐに挫折せざるを得ませんでしたが、その代わりに彼は自分の心の中に理想郷を築いたんでしょう。

また、同じ理想主義者で卓越した戦略家の石原莞爾は、満州に理想国家を現実に作ろうとしました。もし東条英機にもっと広い心が有り、そして欲に凝り固まった官僚に好き勝手させなければ、本当に理想国家を建設できたかもしれません。そう考えると現在の日中関係も変わっていた可能性があり、残念で仕方がないです。



Know Thyself is the Motto of Human Existance?
「汝自身を知れ」とは、人間存在のモットーではないだろうか?
『清沢満之集』より

補足:
ギリシアのアポロン神殿の柱に刻まれた「汝自身を知れ」という言葉が由来です。この銘文によって、哲学者ソクラテスの思索の方向性を決定づけたとされています。



人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」が「心」について嘘をつくことがしばしばある。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(下)』より

解説:
例えば精神が強ければ、心に思っていない事を自分に無理強いするかもしれませんし、一方で精神が弱い場合でも、今度は本当に望んでいないことを妥協して受け入れてしまうかもしれません。どちらにしても「心」に嘘をついていることになります。

心と精神を、それぞれ弓(本体の部分)と弦に置き換えて考えるとわかりやすいでしょう。精神が強く緊張していても、心が弱いと脆い弓に過度な力が加わるように、異常に折れ曲がって最終的には折れてしまいます。逆に精神が弱く弛んでいると、心が放散して安易な方向に流れてしまいます。弓としては使い物になりません。精神と心の修養はどちらも大事で、並行して進めることが理想的ですが、敢えてどちらを優先すべきかと言えば、私は心の修養を先にすべきだと思います。まずは弓本体がしっかりと頑丈で精確に作られていないと、強い弦も張れませんし、矢も真っ直ぐ遠くに飛びませんからね。


求めていた本質的学問との出会い

さて、ここからが本題ですが、ある日、内村鑑三著の『代表的日本人』という本を読んだ時の事です。その本の中で、現在最も共感して尊敬している『中江藤樹』という人物に出会いました。私個人はあまり好まない呼称ですが、一般的には「近江聖人」とも呼ばれている人です。日本陽明学の祖であり、村落教師でありながら後世に多大な影響を及ぼした人であります。彼に関する詳しい説明は別のページで行います。

ちょっと長いですが、中江藤樹に出会うきっかけを与えてくれた文章ですので、その部分を引用します。


「まず第一に、私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば、生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、「真の人間」になるためだった。(中略)さらに私どもは、クラスを分けて教えられることもなかった。魂を持つ人間をオーストラリアの牧場の羊のようにクラスに分けるようなことは、昔の学校では見られなかった。(中略)ロバと馬とが決して同じ引き具を着けられることはなかったので、ロバが叩きのめされて愚かになる恐れもなければ、馬が駆使されるあまり秀才の早死に終わる心配もなかった。現代にみられるような適者生存の原理にもとづく教育制度は、寛大で人を愛する君子の養成には向いていないように思われた。したがって、この点に関しては、私どもの昔の先生は、教育理論のうえではソクラテスやプラトンと同意見だった。」
内村鑑三『代表的日本人』より


この文章を初めて読んだとき、いつの間にか涙が少し出ていました。読んで涙が出た本はいくつかあるんですが、この内村鑑三著の『代表的日本人』もその一冊です。自分は世間からずれているアウトサイダーで孤独な存在だと思っていましたが、同じような違和感や悩みを持っている人が時代を超えて他にもたくさん存在したということは、非常に心強く精神的な救いになったものです。

つまり、自分は「ロバ」だったという事で、当然「ロバ」に「馬」の教育をしても「馬」に似た「ロバ」になるだけで、どんなに頑張っても偽物にしかなれません。ただ、私の場合は誰かから教わるよりも、独学じゃないと自分の本領を発揮できないような気がしますので、ロバでもさらに特殊なロバと言えると思います。

ここで一つ注意しておくと、本書は藤樹に関する内容量が他書と比べると少な目ですので、別段お勧めするわけではありませんが、西郷隆盛や二宮尊徳(金次郎)などの他の偉人の逸話も知ることができるので、そういう意味ではお手軽でお勧めします。

また、中江藤樹をより深く紹介した良書は他にもあり、例えば大橋健二著の『中江藤樹・異形の聖人』などがそうです。これは文句なくお勧めします。

学問と就職について

最後に、孔子の論語からも一句引用したいと思います。

「三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ」
金谷 治「孔子」より

三年間学問をして、仕官を望まないような人物は得難いと孔子が嘆いている内容です。有利な就職のために孔子の門を叩いた人が余程多かったのでしょうか。もちろん、儒学は現実社会の政を仕切っていく役人を養成するという側面もあるため、就職目的の学問という見方もできます。しかし、そうは言っても孔子は単なる仕官の手助けのためだけに門人に教えているわけではありませんでした。一人でも多くの人達が、高い志と徳を身に付けて、大衆を導いて世の中を良くして欲しいと願ったんだと思います。

私は「人徳」や「仁」とか顎が浮くような言葉は似合いませんので、人の上に立つ器じゃないのかもしれませんが、もし大志を持って「治人」を求道したい方がいれば、「修己」を忘れないで欲しいと思います。そうであれば、私も『則天去私』の心で応援できそうな気がします。少なくとも、民衆に迷惑をかけるような権力者にはなって欲しくありません。

現代でも、高校や大学を卒業すると即就職という考えが常識となっていますが、2000年前と事情はあまり変わっていないようです。なぜ孔子は三年学んですぐ就職を求める人たちを嘆いたのでしょうか?それをよく考えてもらいたいと思います。



「我職務を怠慢すれば、我口を糊(のり)する能(あた)わざるべしと思うは、修養を妨害するの大魔なり」
「奴隷心にして美食せんよりは、餓死して脱苦するに如かじ」
『清沢満之集』より


ただし、個人的な意見を率直に言わせてもらえれば、現代は君主が民を治める封建主義の時代と異なりますので、民主主義の考えに合うような形で孔子の教えを受け止めた方が良いのではと考えます。ですから、私は個々人が自得して立派な人になりさえすれば、今後日本を救うために偉大な英雄や賢君が出現する必要はないのではと思っています。歴史を繰り返すのも見たくないですし。

まとめ

話を戻しますと、要するに自分が学問する理由とは、自得して本然を十全に発揮できる「真の人間」になるためだったという事です。

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