前ページでは個人的理由を述べたので、ここでは社会的観点から「心養」の勉強の重要性を書いていきたいと思います。結論から書くと、その目的は次の二つに集約されます。

私たちを取り巻いている社会的環境を学んで観察することで、

  • 1.自らの今後の身の処し方と覚悟を決める
  • 2.日本の将来に光明を見い出す

というための勉学です。

ここ数年の傾向として、私が気にしているのは「国民や社会の価値観の変化の速さと、行き着く先の不安」にあります。直感的に言うと、日本はこのまま流れの赴くままに進むと「ヤバい」と感じます。今後想定している事態が起きると、自分の生活にも影響が出てきそうなので、とりあえず気になっている部分を書いておきたいと思います。

まず、現状一番気になる話題とすれば中国との尖閣問題でしょうか。その話を始めると、必然的にアメリカやその周辺国などの話に及んで長くなりますので、詳細はこちらの「国際情勢の現状と対策」ページにまとめました。

また、日本に視点を絞って国民性の弱点・国内問題等を総合的に書いたページも、こちら「日本の現状と目指すべき道」に用意しました。

これらは内容的に繋がっているので、元々一つの記事として書いたんですが、書き始めたら一万字以上になってしまったので、ページを分けて掲載することにした次第です。

ちなみに、今までの経験上、損得が絡まないことに関しての私の直感は意外と当たります。例えば、オーストラリアで知り合いが土地を購入しようとしていたのを危険に感じて止めたら、その半年後に土地の価値が大暴落しましたし、2005年に漫画「嫌韓流」が出版される以前から韓国の実情は知っていましたので、いずれ日本人も反韓的になっていくんだろうなあと思っていたら実際そうなりましたし、また中国が沖縄を狙っているのも10年位前から知っていました。

当時、ネットでも一部で話題になっていましたから、知っている人は知っていたはずですが、それらの情報が一般に広まるまでに随分時間がかかったと感じます。多分東日本大震災などが起きてしまったため、それどころじゃなかったという側面もあるかもしれません。

一応言っておきますと、現在の私は中国人や韓国人に対して否定的な感情は全く持っていません。それはリンク先の記事を読んでいただければわかると思います。

オーストラリア滞在中の20代の頃は、実際多くの中国人や韓国人と交流しましたし、皆さんいい人ばかりでした。むしろ、短期滞在目的のお客様みたいな日本人との交流に一番壁を感じていたくらいです。

先述しましたように、個別的内容は別ページにまとめましたので、ここではそれらの総合的な結論だけを書きたいと思います。

1.平和が永続しないことを認める勇気

別ページでも書きましたが、戦後の日本は多くを犠牲にして平和と繁栄を享受してきました。しかし、それもいずれ終わる時が来ます。歴史とはそういうものだとも言えますし、日本人自身が招いた結果とも言えるかもしれません。

ここで言う「平和」とは「混乱」と対にして使われます。平和が永続しないとは戦争に限定した意味ではなく、社会を混乱させるあらゆる問題を含みます。

こちらの「日本の現状と目指すべき道 上」ページで日本の主要な国内問題のリストを見ると、全て大なり小なりお金に関する問題だという事に気づくと思います。お金の問題ですから、お金のやりくりで解決しようとするのが当然ですが、その解決策は現実的に無理があります。また、必ず争いが待っています。

問題解決と争いがセットになっていると分かったうえで、それでもお金で解決しようとするならばそれも一つの策だと思いますが、その場合は自覚と覚悟そして犠牲が必要になるはずです。

戦争は絶対嫌だけど、金儲けして裕福な暮らしは続けたいなどと思うのは虫が良い話で、欧米諸国はそれを直感的に分かっているんだと思います。ですから、日本のように軍事力を軽視はしませんし、核兵器を所持しているんだと思います。

彼らは戦争がなくならないことを分かっていますし、その準備も抜かりはありません。特殊部隊出身の韓国人や落下傘部隊にいたシンガポール人とも話したことがありますが、彼らと会うと良くも悪くも日本人とは雰囲気が違って落ち着いていると感じました。

ただし、決して人間性を磨くという理由で、若者を無理やり軍隊に入れる「徴兵制」が良いと言っているわけではないのでご注意ください。私は徴兵制には反対です。何をどうすべきかは各々が自らの意思で決めることであって、どこかの誰かに強制されるべきものではないはずですから。

日本人の良い点は、特定の思想を子供の頃に植え付けられていない点だと思います。そういうものは、これから個々人が自覚して必要だと思ったら身に付けていけば良いでしょう。

2.秘密保護法が作られた理由

普段から自分を持っていないと、状況の急激な変化に対して簡単に不安や恐怖が伝染してパニックに陥ります。これは結構やっかいで、それゆえに日本政府は「秘密保護法」を作って一般人に対する情報開示を制限することにしたんだと思います。

穿った見方をすれば、政治家や役人は日本国民の民度を信用していないという意味にも取れます。確かにその通りで、原発事故の当時に情報がそのまま開示されていたら、核アレルギーの日本人は間違いなくパニックになっていたでしょうし、東京では放射能汚染の不安が広がって水の買い占め騒動が実際に起きました。私自身も恥ずかしながら、当時食料や水の買い占めをしていましたので、人のことをどうこう言える立場ではありませんが。

そう考えると、臆病と言う点では日本人はニワトリとあまり変わらないんじゃないかと思います。あまりにも情報に敏感で、良くも悪くもすぐに反応してしまいます。臆病なことが生き残る秘訣という側面もないわけではないんですが、臆病すぎるとかえって自らの身を滅ぼすことだってあり得ます。

3.明の太祖が日本征伐を取り止めた理由

その一例をここでご紹介したいと思います。古代中国の明の太祖はかつて日本を征服したいという野望を持っていました。自分の臣下になるよう日本に度々文書を送っていたんですが、その当時の日本はまだ中央政府がなく、たまたま九州の懐良(かねなが)親王の手に書が渡りました。その文書の返信内容を下記に記します。

「何もお前の国ばかりが国ではない。帝王はお前ばかりではない。世界には国がたくさんあって、それぞれが王者を戴いて共存共栄している。お前の専横を許すものではない。もしご希望ならば、坐して待つものではない、進んで賀蘭山の下において一戦を交えようか」
安岡正篤著『禅と陽明学 下巻』より

現在の日本人の価値観からすると、結構好戦的でびっくりするんじゃないでしょうか。この文章は短絡的に書かれたものでは決してありません。「賀蘭山」というのは中国人にとっては不気味に感じる場所であり、彼らがそのように感じる事を分かった上で考え抜いて書かれた返書です。

結果、この書を見た明の太祖は震え上がって、日本攻略を取りやめにしました。それに加えて日本側が明の贈り物の大きな蝋燭の中に爆薬を詰め込んで、太祖や重臣を爆殺する計画があったという事が判明して、さらにびっくりして日本を征伐しないと決めたそうです。

しかしその一方で、日本側はハッタリを言いながらも、実は裏で戦争回避を模索して明の重臣と内通していた事がわかりました。このように、表面上は過激な事を言っても、裏では和平策について協議する交渉も巧みに行っていました。これは極端な例ですが、好戦的で危険な選択肢と思われるものが、時と状況によっては正しい選択肢の場合もあります。

今の政治家にはこんな危険な駆け引きはできません。なぜならば、平和主義の日本国民が許さないからです。平和を望むのは当たり前の事ですが、争いを避ける行為が時に争いを呼び込むこともあることを国民は知っておくべきだと思います。

理想を言えば、「秘密保護法」などなくても、国民が冷静に判断できる視野と覚悟を養成することが正しい道だと信じます。知らないことが幸せと言う事もあるかもしれません。しかし、民主主義国家の国民としてそれは許されない事なのではないでしょうか。ですから私は「秘密保護法」には今でも反対です。

4.真実を直視する

ストレートに言いますが、戦争はいつかは起きます。争いを回避するために最大限努力するのは当然のこととして、未来永劫戦争しないなんて不可能なことです。それは歴史を学べば学ぶほど、確信に変わります。

もちろん侵略者に対して戦わなければ戦争にはなりません。しかし、自分に備わっている全てを諦める覚悟が必要となります。並大抵の覚悟ではありません。

時・場所・状況・立場(時処位)によって、非暴力主義が最善の選択肢である可能性は十分ありえます。インドのガンジーがそれを示してくれました。一方、場合によってはその逆も真理だということを先ほどの事例で紹介しました。

5.善と悪の彼岸

もし、何がなんでも戦争を否定するのであれば、争いの火種を刺激するようなものは自らの意志で人類の文明から取り除かないといけません。娯楽としての争いを主体とした時代劇・映画・アニメ・ゲームを初めとして、戦うことが前提のスポーツもそうです。考えれば考える程、人類の文明や歴史そのものを否定することになり現実的ではありません。

欧米では、FPSなどリアルな戦争ゲームに多くの人達が熱中しています。私自身、戦いを主題とした映画やアニメを喜んで見ている自分がいますし、たまにそのような自分を省みて複雑な気分になることもあります。平和や善を唱えながら、自らの心の奥には確実に争いを楽しんでいる自分が存在するのはどういうことなのか今でもよくわかっていません。

そういう事実を見ると、孟子や王陽明の『性善説』や『良知説』には違和感を感じます。自らの心が本質的に善であっても、それが真理の全てではないような気がするからです。荀子の『性悪説』もまた真理なのではと思います。

私が「学問の求道者用」というページで、善や悪という概念が分かれる以前の「無限」に興味があると言った理由もそこにあり、また自分の哲学を『良知の学』と呼ばずに『至誠の学』と呼ぶ所以であります。

6.日本の繁栄が悪い前例になった可能性

また、日本自身が間接的に争いや過当競争に導く要因を作っていることも自覚しておいても良いんじゃないでしょうか。日本は戦後、奇跡的な復興を遂げ、世界でも類を見ない繁栄を手にしました。

しかしその結果、物があふれることが幸せに直結するという、物質的繁栄の夢を周辺国に見させる悪い前例を作ってしまったような気がします。

例えば、韓国の人が昔自国の教育システムについて語っていたんですが、その話を聞いてびっくりしたのを思い出しました。まず彼らの教育の特徴として、日本の教育システムに非常に似ていることが挙げられます。しかし、一見似ているんですがその中身はと言うと、日本の受験生の比ではないです。

韓国の子供たちは、本当に朝から晩まで勉強漬けにさせられて育ってきたようで、多分、日本を追い越そうと躍起になっていたんでしょう。そのような生き方を子供の頃に強いられれば、精神を病む人が多いのも、自殺率が類を見ない程高いのも納得できます。日本に輪をかけてひどい状況です。

中国もまた、少し遅れて物が豊かな繁栄に向かって突き進むようになりますが、世界の資源は中国人やインド人を日本やアメリカ並みに豊かにさせるだけの余裕はありません。

でも、途上国から見れば先進国みたいに豊かに暮らしたいと思うのは当然であって、もはやその流れは止めようがないでしょう。行き着くとこまで行くしかないと今では感じています。人類全体が過ちに気づいてからでも、やり直せる程地球が寛容でタフだといいんですが。

隣国を経済的に支援したり、自分たちが良かれと思って教えた技術も、彼らからは現在感謝されるどころか敵意さえ向けられる始末です。巡り巡って自らの首を絞めるようになっています。別に困っている隣国を助けるな、と言っているわけではなくもっと別なやり方があったんじゃないかということです。悪い意味で円通しています。

これも、日本人が常識的に正しいと思った善意が実を結ばなかった一例じゃないでしょうか。

思うに、日本は物質的豊かさと共に精神的な豊かさも示すことができていたら、周辺国ともまた違った関係を築けていたかもしれないと思う事もあります。今まで世界中の人々とシェアなどして一緒に暮らしたりいろいろ話してきましたが、一番会話が弾んだのは中国人や韓国人でした。

欧米・東南アジア・アフリカ・中東などから来た人たちも、基本的にいい人たちばかりでしたが、やはり文化的背景が全く異なるので、表面上は仲良くできても心を許すほどの仲になるのは難しかったです。また稀ですが、お互いの自我の強さから真正面から喧嘩したことも何度かあります。

無理に中国や韓国と仲良くする必要はありませんが、少なくとも一時の感情に支配された「反中」や「反韓」感情は控えて欲しいと思います。

個人的には今からでも遅くはないと思っており、大震災を経験して原発事故を起こした日本人だからこそ、外国人には気づかない将来の光明を見ることも、そしてそれを実践することも可能だと信じています。

7.人類の行き着く先

現状では、決して明るい未来が見えているわけではありませんが、だからと言って何もしなければ、間違いなく楽しくない将来が訪れます。ニーチェの言う「末人」を生み出さないために、そして仏教の「末法の世」にしないためには、一人一人の行動にかかっているんじゃないでしょうか。

8.解決策

最後に、上記の問題の根本的解決策を提示します。それは次の3つです。

  • ● 自得して覚悟を持つ
  • ● 無限・中庸・円通・時処位の心
  • ● 自給自足と地産地消

注釈:
「無限」とは限りがない、という意味です。限りがない程広大という意味もありますし、分別がない(境界がない)という意味もあります。例えば、虹色は便宜的に7色に分けられていますが、実際にはデジタルみたいに7色だけが存在するわけではありません。アナログ的に色が無限に遷移していきます。それが無限の理であり、天地万物一体の精神に繋がります。

自得して情報に振り回されず、覚悟を持った日本人が一人でも必要だと感じます。ちなみに、個々の問題に関しての具体的な解決策を提示はできません。それは私がそれぞれの分野の専門知識や経験に明るくない事、またそれらの問題は別個として存在しているのではなく相互に関連している事、さらに正しい答えは時と場合(時処位)によって異なるからです。私が視えるのは総体的・根源的問題だけです。

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