ここでは「道楽」の生き方と、その理想と現実について書いておきたいと思います。

当サイトを読んでいただければ分かると思うんですが、よろずは理想主義者です。ですから、可能な限り理想を追い求めているわけですけど、いずれどこかで現実と妥協しないといけない部分が出てきます。

ここが非常に難しい所で、理想と現実のどこに境界線を置くかを見誤れば、場合によっては生命に関わります。一方安易に妥協すれば、自分の本性に逆らうことになり、同時にそれは自分という存在を生み出した天に逆らうことになります。

『潜龍』という生き方は、それが私にとっては「安楽」の道なわけですから、その先にどんな事が待ち受けていようと他に選択肢はないんですけど、自分でも難儀な性格をしているとは思います。

道楽学問の真意

そもそも「道楽」とは何なのか、もう一度簡単におさらいしたいのですが、「道を楽しむ境地に至る(境地を致す)」という意味です。一番最初にその単語を目にしたのは、夏目漱石著の『道楽と職業』からで、当サイトの名前はそれを参考にしています。

しかし現在は、サイト名に「本体の安楽に還る道」というもっと深い意味も込めています。それらの意味について、易経・中江藤樹・熊沢蕃山・安岡正篤・孔子より引用したいと思います。



天(道)を楽しんで命を知る
『易経』繋辞上伝より

問ふていわく、人間の世、第一にねがひもとむべきものは何事ぞや。答えて云う、心の安楽に極まれり。心の本体は元来安楽なれども、惑いの塵砂にて種々の苦痛こらへがたし。学問は此の惑いの塵砂をあらひすてて、本体の安楽にかへる道なる故に、学問をよくつとめ工夫受用すれば本の心の安楽にかへる。
中江藤樹『翁問答』改正篇より

真楽は悦楽・憂患を以て二にせず
熊沢蕃山『集義和書』より

人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、
怒りと欲とを捨ててこそ
つねな心は楽しめ
熊沢蕃山の和歌より

本当の学問というものは道楽でなければいけない
安岡正篤より

子曰はく、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中(うち)に在り。不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し。
孔子『論語』より

人、己を知らざるは、大憂なり。己を知らずして人を知らんとし、外事を知ることをつとむるは惑いなり。己を知りて後天下の事疑ひなきは、楽しみなり。
『集義和書』より


1.興味本位で理屈先行の学問は無意味

押しつぶされそうな不安や恐怖を克服するためには、生半可な学問では無理です。テレビを見ていると、専門家の人達がいろいろ社会問題に関して議論しているのを見かけますが、知識や理屈ばかり先行しているように感じます。社会を良くしたいと本当に思っているんでしょうか?情より損得の論理優先ですから、議論を戦わせている双方が納得することはまずなく、最後まで平行線で終わります。

学校の勉強もそうで、毎日の授業が点数取得のための、単純な作業になってしまっているケースが多いと思います。若い貴重な時期に、無駄な勉強を強制することの正当性が、30歳超えた現在でも理解できません。最近、文部省が「道徳」の授業を強化するというニュースを見ましたが、あえて苦言を言えば、私も含めて大半の大人は本当の「道徳」を身に付けていないと思います。

損得重視の外見道徳ならよく世間で見ますが、見かけだけ立派な勉強を子供に教えたとしても、学問の真の意味が失われるだけで、徳や礼が形骸化・俗化してしまうんじゃないか、と危惧しています。道徳とは本来、書籍から知識を学ぶものではなく、書籍などを通して人間を学ぶものです。よって、教える側の教師の程度が低ければ、あまり意味がないものとなります。

例えば、新渡戸稲造によると「武士道」も道徳の一つだそうですが、現代の資本主義社会で当たり前となっている「商人道(ビジネス)」とはどうしても相容れない部分が出てきます。理想と現実の間に矛盾が生じれば、私のようにその狭間で悩む人も出てきて当然です。ですから、何を持って道徳とするのかは、赤の他人に決めてもらいたくはありません。何が正しいかは各々が学んで自分で決める、というのが私の考えであり、そうしないと主体性を持った民主主義がいつまでも経っても育たないと思います。小さい子供に関しては、親が自分で学んだ道徳を教えればいいんです。



蕃山の道楽の境地

予を方々よりそしりこめて、遠方より尋る人にも、近里の同志にも、道徳の物語することもならざる様にし、他出も不自由なる躰に成り候は、外より見ては困厄のやうにあるべく候へども、予が心には、天のあたふる幸とおぼえ候。配所の月、罪なくしてみんことあらまほしといへり。世をのがれたるごとく静なる月は、世にある人の見がたき事也。配所なればこそ、浮世の外の月も見るにて候へ。たとひ富貴にして、世間広く共、我心に実に罪過のおぼえあらば、心は困厄の地なるべし。たとひ外には罪のとなへ有とも、我心に恥る事なくば、心は広大高明の本然失ふべからず。
熊沢蕃山『集義外書』巻一より


また、歴史を学ぶことが最近ブームなのか、歴史考証系番組が多いですが、それらの多くはあくまでも第三者としての史観であり、その当時を生きた人たちの精神や魂まで自ら引き継ごうとしているようには見えません。興味のある研究対象として学び、談笑しながら古人の生き方を論じた所で、そこから得られる知識に何の意味があるんでしょうか?

どの分野の学者もそうですが、その学問が好きだから学者の道を選んだのだと思います。ということは、学ぶ事それ自体が楽しみになっているのかもしれません。楽しく学ぶ事は良いことだと思いますが、それが円通した総合的知識になっていなければ、本当の意味では役立たたないのではと感じます。

私もいろいろ学んでいますが、決して趣味で学んでいるわけではありません。時間がいくらあっても足りない位に、必死に学んでいます。損得関係なく一生懸命学ぶ姿勢こそが、安岡正篤が上記で語った本当の「道楽」の勉強だと思います。受験や就職目的の学問では、お金や知識は得られても、心の修養はできないからです。

世界は理屈だけで動いておらず、また人間の都合でも動いていないので、論理や理屈だけで状況を判断したり、解決策を考えても、本当の答えは見えてきません。私たちが生きている世界は、固定しておらず常に変動しており、あらゆる事象が複雑に絡み合っているんですが、一方で、人間社会の制度や法律は固定化されているゆえに、いつまでも今の生活が続くと幻想を抱きがちになります。

2.時・処・位を考慮して、大局的視野から社会を変化させていく

自然の理を考慮した上で、人間社会のルールも形作っていく必要があると思います。そして自然が変化すれば、人間のルールもそれに応じて変えていくのは当然のことです。

なぜ武士の時代が否定されて、明治維新が起きたのでしょうか?なぜ維新の過程で多くの犠牲者が生まれたのでしょうか?その理由はすべて、変化を嫌って特定の問題を放置し続けたからです。何時の時代にも、世に警笛を鳴らし続ける人達はいますが、権力者や大衆が彼らに耳を貸すことは非常に稀です。

犠牲者を極力出さずに社会を変革するためには、各々が主体的に自ら変わっていく勇気が必要となります。一度作った器を自らの意思で壊すことは痛みが伴いますし、大変な作業ですが、維新・革命・戦争が起きるよりはましでしょう。

常識の範疇でいくら考えても、そこから得られる解決策には限界があり、例えば円安に誘導したアベノミクスなどは、その典型だと思います。ただし政治家として、国民に理解を得られる範囲の政策としては、それ位しか示せなかったというのも理解できますので、彼の政治家としての資質を否定するわけではありません。しかし、苦難を一部の人達に押し付けるのではなく、みんなで少しづつ分け合う形に持っていかないと、結果的に皆が不幸になると思います。

理想実現に必要な精神と覚悟

最初に書きますが、私が求道しているのは、あくまで主体的な個人としての理想であって、社会をどうしたいとか自分の信念を人に押し付けるつもりは元々ありません。しかし、そうは言いつつも学びや考察を行っていると、その過程でいろいろ世に対する危機感も感じてしまうので、できればそれらに翻弄されず、独立して判断行動のできる、「小さな志士」が日本全国にたくさん誕生することを望んでもいます。

明るくない将来が近づきつつあるとわかっているのに、無関心では天に弓引くも同然の所業なので、私も個人として世に啓蒙できる部分はしていきます。それらの危機に根本から対処していくためには、中途半端な信念では現実という壁に簡単に押し潰されてしまいます。ですから志士などの理想主義者は、克己して死生を超脱するくらいじゃないと、話にならないんです。

一年や二年自己修養した位で到達できる境地ではありませんので、早めに目覚めて今の内から準備しておくことが大事だと思います。強大な相手ですから、相対せばいずれ必ず自分の覚悟を問われる時が来ます。どれだけ大志を抱いたところで、一個の個人に勝ち目はないという非情な現実もまた、弁えておく必要があるでしょう。もちろん、自己救済だけを考えて、隠遁者として世俗から離れて暮らすのであれば、他人を不快にさせたり怒らせる事もないわけですから、あまり深刻な問題は生じないかもしれません。しかし、社会に出て積極的に自他救済を行っていきたいと考えているのであれば、棘の道になることは避けられません。それは、インド仏教復興運動を率いている、佐々井秀嶺氏の人生を学べばわかります。ヒンズー教徒が9割いるインドで、仏教を広めようとする事がいかに危険な行為であるかは、彼の書籍を読めばわかります。

どんなに立派な理想や意見を持っていたとしても、それを自分の人生を賭けて最後まで押し通す覚悟がない限り、誰も説得できませんし、いずれは社会の現状(現実)に敗北します。力のない正義に意味はありません。



子曰はく、朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり
孔子『論語』より

道を見るものは生死を以て心を二にせず
『集義外書』より

予いまだ凡情まぬかれずといへども、狂見ありて大意を見る故に、世のそしりにひかれずして独り立てり。他の学者は、狂見なければ、そしりをもやぶり得ず。
『集義和書』より

一種生死の念頭毫髪(わずか)も掛帯(心に残す)すること有らば、便ち全体に於いて未だ融釈(悟る)せざる処(ところ)有り。
王陽明『伝習録』より

「独立者は常に生死の巖頭に立っていなければならない。殺戮されることも、餓死することも、もとより覚悟のことでなければならない。」
真宗大谷派の僧、清沢満之の言より

初めは得失栄辱で心を悩ましたが、苦悩の極、死の問題が心を悩ますに至っては、もはや得失栄辱はどうでもよい、ただ死の恐怖を征服したいのみである。私が陽明学を好きなのはこのやうな処である。私の身に迫る患難を、誰も理解してくれる人はない、陽明の書物のみが私を慰諭してくれる。
安藤州一『王陽明の解脱観』より

憂きことのなほこの上に積もれかし
限りある身の力ためさん
熊沢蕃山の和歌より


自分で居場所を作る

シタン先生の社会講義-ゼノギアスより」でも触れましたが、人は自分で居場所を作るよりも、誰かに与えられた方が楽です。そんな事は百も承知なわけですが、既成の価値観の枠で生きていけない人は、最終的に自分が安楽に生きていける場所を、自らの手で生み出すしかありません。それがどんなに無謀な行為だとしても、そこにしか本当に生きる道がなければ、突き進むしかないでしょう。

できれば、アウトサイダーも社会の一員として、幸福に生活できる世の中になって欲しいです。幸福かどうかは本人の心持ち次第という側面はあっても、お金という現実問題がある以上、心持ち一つだけで生きていけるわけではないですし。

1.自分の居場所がなかった三島由紀夫やヘミングウェイ

日本はすでに60年も平和な時代を享受してきましたが、そんな平和な世の中で、三島由紀夫は自決を選択しました。彼は私と同じように心の弱い人間だったんですが、それにも関わらず無理して、世間には「強い男」を演じ続けました。仮面を被って生きていたわけですから、その矛盾と虚無感による苦しみは、身に染みる程わかるような気がします。

周囲の男らしいという評価と、弱い本当の自分との間に大きな乖離が生じていき、その溝が埋めようもない程広がった時に、自衛隊の駐屯地に突入して「目を覚ませ!」と檄を飛ばし、華々しく理想的な武士としての最期を遂げた結果、初めて自己矛盾という現世の苦しみから解放されたんじゃないか、という事らしいです。別な視点から見れば、彼は最後まで外面を重んじる「葉隠武士道」を貫いたとも言えますので、名誉を重んじる武士としては立派だったと思います。アメリカンドリームを象徴するヘミングウェイもまた、三島同様、成功者としての外見とみすぼらしい内面の埋められない齟齬を満たすために、最後は散弾銃で自殺しました。

このことから、外見をいくら着飾っても、心そのものは鍛えられないことがわかります。それ故に、私は礼儀から始まる教えには基本的に共感できません。もし三島由紀夫が武士の存在した時代に生きていたとしたら、彼は本望だったのでしょうか?本人の言を信じれば、多分そうなんでしょう。時代によって必要とされる人材も異なるという事です。では、その時代に必要とされていない人たちは、どうすればいいんでしょうか?

2.居場所を作るために必要な条件

徳川家康の江戸時代以降、「百姓」や「農兵」として、主体性のある人間らしい生活をしながら生きる、という物理的手段が権力によって奪われました。もちろん、欧米でもニーチェやキルケゴールが「近代人」の主体性のなさや弱さを否定したように、現代社会では万国共通の問題です。近年のひきこもりやニートの増加は、これらの近代社会に付随する根深い問題と相関関係にありますので、一方にだけ責任を押し付けても問題を深刻化させるだけだと思います。

ゆえに、自分の居場所を一から作ることは非常に難しく、近代社会から距離を置きつつ、質素でもいいから最低限人間らしい生活を望むとなると、ある程度の人達が集まって助け合いながら生きていく必要があります。

祖師禅の求道者たちも最初は少人数でしたが、噂などを聞きつけて少しづつ人が集まり、畑を耕しながらそれぞれが自由に己の道を探究しました。似たような志を持っている人達が日本に全くいないとは思えませんし、これだけいろんな問題を抱えている社会ですから、自己の内面を探究しないと救われない人たちもたくさんいるはずです。

残念ながら、既存の宗教は人々の救済にはあまり役立っていないようです。他者を頼れなければ、自分で自分を救済しなくてはなりませんが、そのためには場所や条件がある程度整っている必要があります。個人的には、宮沢賢治の「イーハトーブ」が現実に作れればいいんですけど、それもある程度の準備とお金がかかりますし、生半可な決心で始められませんので、運が良くてもずっと先の話になるでしょう。江戸時代以前の昔だったら、個人の努力次第で可能な事も、現代だと何を始めるにしても、まず先立つものが必要になるのが厄介だと感じます。

今更不安や恐怖などありませんが、いつかは理想と現実のどこかで、ギリギリの妥協点を見い出す必要があるとは思っています。

まとめ

このページでは天の道に沿った道楽の生き方について、より詳しく省察し、そこに付随する理想と現実についても書いてみました。理想を追い求めている人は、いずれ必ず大きな試練にぶつかります。その時に出現する、巨大な壁に怖気づくことのないよう、心身を修練し、最終的には死生を超脱する位の覚悟を養っておく必要があります。

私は海外滞在中の27歳の頃にビジネスを志して以来、試行錯誤を続けて今年で35歳になりますが、あれから8年近く経っていることになります。それでもまだ、完全に大悟する境地には至っていません。したがって、奮起発奮して道を志すのであれば、早い方が良いです。

超人ツァラトゥストラは、深い思索のために10年山にこもったと言いますから、私も立志してからちょうど10年後の37歳までには、全てを明らかにしたいと思います。奇しくもそれは、27歳で大洲藩を脱藩し、37歳で陽明の学に大きく得る所があった中江藤樹の年齢とも一致することになりますし、王陽明が龍場で大悟したのも37歳であることを考えると、何か因縁めいたものを感じます。

おわり

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