私の個人主義

この本は夏目漱石が40半ばで胃潰瘍を患い生死の境をさまよった後、明石「道楽と職業」、和歌山「現代日本の開化」、堺「中身と形式」、大阪「文学と道徳」の4市で行われた講演をまとめた書物です。本書にも書かれている通り、病気をおしてまで試みた講演は、漱石が悩み抜いた上で生み出した貴重な思想であり哲学だと思います。

備考:本記事は読みづらかったので、一部書き直しました。

本書は2011年の震災以降、よろずが様々な本を読み漁った過程で一つの方向性を決めた原点となりました。学生時代は誰でも一度は「それから」、「吾輩は猫である」、「こころ」、「坊ちゃん」など、漱石の著作を読んだことがあると思います。本書は漱石関連の書籍としてはあまり世間に知られていないかもしれません。しかし、たくさんの有名文学作品を生んだ彼の土台となる考えがこの本を通して見えてきます。その考えを踏まえた上で彼の文学作品を再び読むと新たな発見があるかもしれません。

最後に読んだのはもう一年以上前ですが、何度も繰り返して読んだためか大筋の内容は今でも覚えています。ページは160ページくらいで、そんなにボリュームがあるわけではないですが内容は非常に濃いと思います。読み返すたびに発見がありますし、考えさせられることもたくさんありました。

あらすじからいくつか引用したいと思います。
「しかるに漱石は個人の問題にとどまらず、社会、国家の問題を論理的に考え、道徳、文化等の諸般の問題に及んでいる。たとえば個人が社会に関係する仕方としての職業を考え、資本制社会の中で、職業が人間に孤立化と不具化とをもたらすことを逸早く指摘している。漱石は管理社会とか情報社会とかいうものを知らない昔に現代の悲劇を警告している」

仕事とは何か?なぜ仕事をするのか?個人と社会の関係を考える上で、ぶつかる疑問だと思います。後、漱石が危惧した通り今の時代は人同士の関係が希薄化していますし、学問も仕事も専門的になっていますので、個人が専門外の分野にまったく興味を示さない傾向もより進んでいます。

「漱石の評論は半世紀以上も昔のものであるが、その思想は今日なお示唆するところが多く、日本の将来を探索する多くの指針を含んでいる。」

その通りだと思います。今のままでは良くないだろうと感じることは多いです。

では具体的内容に入ります。本書は5つの主題から構成されています。それぞれについてコメントしていきます。

道楽と職業

このパートでは、道楽と職業がどのように関係して、どのように食い違っているかを話しています。道楽といっても漱石は悪い意味で言っているわけではなく、もう少し広い意味で道楽という言葉を使っています。

最初の方では職業の細分化について言及しています。昔の職業と言うものは大まかで何でも含んでおり、文明化するに従ってだんだん専門的に傾いて細かく分かれていく傾向があるとのことです。

補足:これは別に日本だけの話ではありません。現代の学者は専門的な分野を深く狭く探求することが当たり前ですが、大昔の学者(ギリシャの哲学者など)は分野に別を付けずに学問の研究や探究をしていたそうです。

その次に「人のため」に何かをすればするほど、「自分のため」になると言っています。一例としてお金を稼ぐことを挙げており、ここで漱石は「人のため」にするという意味を間違えてはいけない、と注意しています。つまり、お金を稼ぐために必要な「人のため」とは、人のご機嫌を取ったり人にお世辞を使えばいいという俗的な意味に過ぎないということです。

職業が細かく分かれていくと、我々は偏った人間になってしまうとも主張されています。生存競争のために本来人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍とだんだん速力を早めて追いつかなければならないので、その方向だけに時間と根気を費やしがちであると。その結果、希薄な人間関係や偏った知識など、間接的に起きるでろう社会問題について説明しています。

このパートを要約すると、「物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になる」ということだと思います。

漱石は「己のため」に道楽で文学を書きましたが、たまたまそれが「人のため」になり、人に気に入られたため、最終的にお金という報酬として自分に返ってきたといいます。もし最初から「人のため」を主目的に文学を書いていたら、彼は執筆をやめなければならないかも知れない、とも書いています。漱石同様己のために生きようとする私にとって、非常に参考になりましたし見習いたい生き方です。

現代日本の開花

長くなりそうなのでここからは概要と私の考えだけ述べておきたいと思います。明治の時代には、世の風潮が西洋文化は何でも優れているという流れでした。それゆえ、漱石は「一言にしていえば現代日本の開花は皮相上滑りの開花であるということに帰着する。」として、世間の流れに一石を投じたことは意味があると思います。

現代に生きる私たちは西洋文化が素晴らしいだけでなく、問題も多くはらんでいるとわかってきました。その中で、明治の頃とは状況も変化していますし、考え方もそれらの変化に応じて柔軟に変わっていく必要性を感じます。もしかしたら、現在の日本でも再び変化が必要とされているのかもしれません。そうであれば、漱石の言う過去の日本のような外発的変化じゃなく、自然発生的に発展する内発的な開化で変わっていってもらいたいものです。

備考:
ちなみに、「妙なる畑に立ちて」という本に、世間知という言葉が出てきますが、本書で記述されている、西洋のものだったら何でも認めて評価する風潮は、世間知によって引き起こされるものです。周囲の考えや常識を鵜呑みにし、周りの評価や価値観に振り回されるのは世間知によるもので、後に大きな問題を生み出す元凶になります。

中身と形式

この章では、中身に応じて外形も変わらねばならないということを主張しています。現代でも時代が変化しているのに、旧態依然とした形式主義に固執する傾向はたくさんあると思います。変化することが常に良い結果を生むとは限りませんけど、変化の必要性を皆で考えたり、議論すること位は自由であって良いと思います。

文芸と道徳

学校では国語と道徳を分けて教えるため別の教科だと認識しがちですが、実はこれらは密接に関連しています。道徳を学ぶには、文学などのお話を通して学んだ方が一番わかりやすいんじゃないでしょうか。漱石は社会が変化するにつれて個人主義思想が発展し、道徳も自然個人本位として組み立てられ、自我から道徳律を割り出そうと試みるようになると考えていました。要するに何が正しくて間違っているかは自分で考えて導き出す、という事だと思います。よろずもこれには同意します。「人としてこうあるべき」というような、上からの価値観の押し付けは中々浸透しないものです。道徳観を養うためには、最初は本を読んでいろいろな知識を学びつつ、後は自分で考えて形作るものだと思います。

私の個人主義

ここでは、漱石の個人主義思想とはどういうものかが書かれています。講演の聴衆は学習院輔仁会の学生で、将来権力や金力によって社会を支配する上流階級の子弟が多いことを考慮し、講演の内容もそれに沿ったものになっています。個人主義とはかけ離れた教えを受けて育ってきた子供達に、利己主義と誤解されやすい漱石の個人主義思想を説いたわけですから、かなり緊張したはずです。

前半部分は漱石が自分の半生を語っています。私はてっきり彼がこれだけ世間に広く知られて成功しているんだから、文豪として若い時から才能を開花させて生きてきたんだろうと思っていました。しかし、実際彼の紆余曲折な人生を読んでいくと何か自分と似ているな、と感じる部分が多かったです。それゆえに共感する所も多いです。

共通点を挙げれば:
1. 海外に留学したこと
2. 神経衰弱にかかったこと(私の場合医者に診断されたわけではありませんが、10代から20代にかけて心を病んでいたと思います)
3. 信念を持たずにあやふやな態度で社会に出たこと
4. 仕事に興味が持てず、何度も変えている事
5. 他人の意志で自分の人生を決めていたこと
6. 常に感じていた空虚感
7. 学ぶ意味も知らずに学んでいたこと (漱石の場合は文学、よろずの場合は電気)

もし、上記のいくつかで共通点がありましたら、試しに本書を読んでみることをお勧めします。勇気づけられる部分があるかもしれません。

後半は、上流社会で恵まれた立場で権力や金力を個性の拡張のために利用することの危険性を警告し、上に立つものは「他人の個性の尊重」、「権力を所有するものの義務」、「金力を使用するものの責任」の3つを意識することが重要としています。さらに、これらを価値あるものにするには、倫理性の修養を積む必要があることも説いています。現代でも偉い人たちが何か悪いことをして責任回避の自己保身に走る姿をニュースで時々見ますから、そのたびに何とも言えない気分になります。

まとめ

夏目漱石の講演内容を読んでいると、彼がどういう人だったのか興味が湧いてきます。最初の前口上だけを見ると、言い訳がましくお気楽でいい加減な人のように感じました。しかしそれは表層的な部分に過ぎず、本来は非常に神経質な性格で、人並み以上に思い悩むことが多かったと思います。彼のすごい所はその神経質な性格を悲観したり否定せず、自分が感じる多くのことから目を背けずに答えを探究し続けたということです。

講演では聴衆にリラックスした話をしてから、重い本題に入っていくという流れなんでしょう。ただ、初めの前口上には漱石の本音も多分に含まれていると思います。自己本位で生きるという個人主義を主張している人が、人のためだけに自分で思ってもいないことを話すわけがないと思うからです。真面目な人だからこそ、偶にはお気楽なことも言いたくなるのかもしれません。

現実には漱石の考えを実行しながら生きることは、相当な困難があると感じます。だからと言ってこのまま何も変わらずに突き進めば、安息な生活から次第に遠ざかっていくような気もします。

文庫版で量も多くないですし読みやすいですから、内容に興味を持たれましたらぜひ手に取って読んでみてください。本書を読むと、この道楽道サイトも漱石の考えに影響を受けていると所々で感じられると思います。

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