鎖に繋がれた犬と自由な犬 後編 「世にも奇妙な物語」より
「鎖に繋がれた犬と自由な犬」の考察のつづき
理髪店の住人となった謙一郎の言葉
作中で、理髪店の住人として古株となった主人公が、不満を叫ぶ新入りに対して静かな顔で次のような言葉を発します。
「金を増やすことに何の意味がある?」
「眠らずに働いて何の意味がある?」
「それで幸せなのか?」
「目を赤くして、いつもいらいらして、気が付けば家庭を失って、食べ物の味も失って、魂の輝きを失って、それでも生きていくのか?」
「もう、やめよう。そこに何の利益もない。何も。」
これらの考えには、ある程度同意する部分があります。しかし、異なった価値観を受け入れる準備をしていない人に対して、強制的に信じ込ませるようなやり方はやり過ぎです。結果や答えを重視して他人に価値観を強制することで、本来自分で考えて行うべき試行錯誤のプロセスをスキップしています。そのために物語の最後で再び自由を得た謙一郎が、理髪店に閉じ込められた最初と同じように、混乱して自分を見失ってしまったんじゃないでしょうか。
随分前からたびたび議論になっていた、ゆとり教育の問題とかぶると思います。ゆとり教育とは、個人の自主性を尊重することで、生徒の個性を伸ばすことが主旨です。人はロボットじゃないんですから、その根本の考えは正しいと思います。しかし、現実に行ったゆとり教育はどのようなものだったのでしょうか。小学校や中学校という秩序を持った組織の中で、個人の自主性を重んじるゆとり教育を教えたことに矛盾を感じます。
学校教育機関は、本来個性の尊重よりも集団としての協調性を重んじる場所です。その中で、自由や個性を教えることが本当に可能なのでしょうか?
理髪店の主人となった謙一郎の言葉
「髪の流れにはその人の生き様が現れます。人には人の形がある。それを見極めずして形を与えるのは醜いばかりです。櫛一つ分髪を救い上げます。そこに忘れていた風が通り抜ける。人は未来の自分を見つけ直すのです。」
言っていることは理解できなくもないんですが、他人に自分の形を無理やり押し付けているのは、謙一郎も変わりないでしょう。そこの矛盾に本人が気づかないということが、最終的な悲劇につながったと思います。しかし、仮に矛盾に気づいたとしても自分の我を通したら、主人公は生きていけなかったはずです。和を乱す異分子として、組織の中で餓死させられていたと思います。そういう意味で、このお話には救いが感じられませんでした。
ちなみに、これは正しいか否かに関わらず常識や習慣により人の生き方が縛られる世間知の一種となります。世間知の意味に関しては、こちらを参照してください。
最後の場面で、自分の部下からの電話で「言っていることがわからない」と答えた謙一郎
協調性を重んじ、競争から隔離された社会で1年間生きてきた謙一郎にとって、相手の事情はおかまいなしに限界以上に値切る以前のような弱肉強食の非情なビジネスは考えられなくなりました。
まとめ
経営者として社会的に成功していたが、物質的な自由(悪く言えば不安定)と精神的な不自由の中で生きていた謙一郎は、ある時突然、特殊な閉鎖空間に閉じ込められた後、秩序ある組織の一員として生きることで、行動は制限されても(物質的不自由)、ルールさえ守れば食べるものの不安はなく、かつ精神的な自由の中(価値観を強要されたという意味では不自由)で生活しました。最後に、やっと閉鎖空間から解放されて、行動範囲が広がった現実社会に戻った時、謙一郎は自由に対する不安、恐怖、そして絶望の表情を見せます。彼はこの時点で、他人を不幸にしてまで自分のビジネスを成功させる意味が理解できなくなっていました。
ここで、一つの見方として、この物語は飼い犬として鎖に長年繋がれて生きていた犬が、いきなり鎖を外されて自然の中に放り込まれたら、不安や恐怖に駆られるということを伝えています。そしてその犬は、多分生きていけないでしょう。しかし、このお話はそれだけを伝えたいのではないと思います。物語のひねりの部分は、従順で協調して生きることが絶対的ルールである社会環境で生きている人に対して、自由や個性の尊重を教えていた、ということです。滑稽ですけど、そのような矛盾した教育を受けたら、当人にとっては悲劇かもしれません。
現代社会に当てはめれば、それは過去に行われたゆとり教育なのかもしれません。しかし、ゆとり教育の主旨は間違っていないはずです。
自由を求める人は、心身の強さが絶対必要不可欠です。心だけ強くても駄目ですし、体だけ頑丈でも駄目です。
一つ救いがあるとすれば、主人公が理髪店で毎日欠かさず修行したことでしょう。金儲け中心の経営者としてはもう無理かもしれませんが、小さくても理髪店を営むことはできるかもしれません。
いろいろな皮肉が、この物語に込められています。ストーリーを考えた人は天才だと思いました。