相場のチャートから見えてくる人の感情とお金に関する考察
今回は、投資を行う上で大抵の人はチェックしていると思うチャートについてです。今は投資を行っていませんが、東日本大震災が起きるまではかなり力を入れてました。
私が行っていた投手手法は、こちらでも書いていますが、基本は裁量による逆張り+つなぎです。順張りも状況によっては行っていました。試し玉でまずは相場の流れを感じ取り、少しづつ本玉を仕込んでいきます。その過程で平均値を上げたり下げたりして、建て玉を調整していく投資法です。イメージ的には次々に到来する波に継続的に乗り続ける感じです。ただし、だらだらと波に乗り続けないよう、一定期間以内にポジションを全部手仕舞って、新たな気持ちで投資を再開することも心がけていました。反復練習により相場感覚を養いつつ、投資技術を磨きます。リスクマネージメントはエクセルを使用し、利確や損切りの値を決めます。
コンピュータ上でもチャートの値動きはチェックしますが、手書きで日足の値動きやポジションの変動を毎日記録し、B1サイズの大きな方眼紙には日足の折れ線グラフを書いて値動きの傾向を読んでいました。トレンドラインなど、余計な情報をチャートに書き込むことはしませんでした。線などを書き込んだりすると、そこで値動きが止まるような思い込みに縛られるのが嫌だったからです。
少しづつでしたが、比較的順調に稼げていたと思います。
注:投資に関する本のレビューも、今後挙げていくつもりです。投資の手法は元より、投資以外でも役に立つと思う書籍がいくつかありますので。
投資を学ぶことの意義
投資を学ぶことは今になって考えると有用だと感じることがあります。一つは感情の制御です。最初はお金を儲けたり損をすると、その度に興奮したり狼狽したりして感情が大きく起伏したため、後になってから後悔するような愚かな投資行為を何度もしました。今は投資以外の分野でも、感情的にならずに引き際を多少心得るようになったと思います。
二つ目はお金に対する考え方です。貨幣価値が常に変動するように、経済もまた上がるか下がるかしかありませんので、大まかな世の中の流れくらいなら読めるような気がします。
現在投資を行っている方へ注意:
これ以降は本文中でよろずが投資をやめた理由が書いてありますので、現在投資をしている方は読まない方が良いと思います。社会に必要だと思いますが、私には根本的な部分で合いませんでした。
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多くの人の予想を裏切る値動き
昨今の急激な円安は、多分多くの人の予想を裏切ったんじゃないかと思います。ほとんどの人は、こんな短期間で1ドル100円を超えるとは思わなかったんじゃないでしょうか?
でも皆が予想していなかったからこそ、1ドル100円を超えてしまったんです。また、一時期1ドル80円を切る円高だったこともありましたが、そうなる前もまた多くの人がそこまで円高になるとは予想していませんでした。
なぜ極端な値動きになるかと言えば、人の感情が原因で、投資をやっている人であれば常識だと思いますが、その感情とは欲であり恐怖(不安)です。
多くの人がこんな値動きにはならないだろう、またはこうなって欲しくないという方向へ現実は値が動いていきます。そのような値動きをすることで弱っている人のストップを狩っていきます。
チャートを眺めていると、時々激しい値動きの攻防が見られることがあります。そしてある時突然一方向に一気に値が滑っていきます。そういうのを見ると、攻防に打ち勝った人達は思惑通りに値が動いて歓喜していると思います。勝ち馬に乗ろうと、たくさんの人が参加してきますから、さらに値動きは加速してしばらく止まらなくなります。一方、負けた方は不安と焦りの中、急いで損を覚悟で建て玉を処分します。当然反対売買をしているわけですから、値動きが加速するのを助長することになります。
たまに非常に大きな値動きが見られるときは、大口の投資家や投資会社が大損、または破産したことがチャートからでも想像できたりする場合もあります。
つまり、誰かが儲けて誰かが損しているわけですから、金銭的にはゼロサム(プラスマイナスゼロ)ってことです。もう少し広い視点で見ると、過剰な投資により行き過ぎた経済活動が金銭的にプラスになることはあります(例えばバブル経済では多くの人が儲かりました)。ただし、その代償として環境汚染や様々な問題が他で発生したりするでしょうから、金銭以外の部分も考慮するとプラスマイナスゼロとなります。原発事故が起きれば土地そのものが汚染されるわけですから、明らかにマイナスでしょうけどね。
株だけじゃなく、FX(外国為替証拠金取引)も同様です。お金の価値が相対的に変動するということに気づかせてくれたのは、FXをやっていたおかげです。シーソーみたいなものですが、FXの場合はシーソーと異なり、値段を変化させる変数がたくさんありますからもうちょっと複雑ですけど、根本の理屈は同じです。
普段私たちは、お金を相対価値として捉えていないと思います。100円は100円の価値ですし、1万円は1万円の価値として感覚的に考えているはずです。例えば、米ドルが強くて豪ドルが弱い、しかしユーロは強いから円はこうなるだろう。その結果、自分の給料はいくらになってこの商品はこの値段で売られるだろう、なんて考えないでしょう。
世界経済がどうとか大上段を構えて議論しても、結局行き着くところはちょっと複雑な貨幣のシーソーゲームです。貨幣の価値が事実に基づいたすべての変数を内包していると仮定すれば、このように単純化できると思います。しかし現実は、事実に基づいて貨幣の価値が変動しているわけじゃなく、人の願望(欲)や不安などの感情で動いています。去年はドル円が80円を切る円高だったのに、今年になってから100円を超えた円安が日本の実体経済を表しているなんて到底ありえません。
こんなことで生活が振り回されるのは正直馬鹿らしいと感じてならないのですが、世の中がそうなっているのですから仕方がないです。
こんな感じでいろいろ考えていたある時、投資を行っている自分の行為に意味はあるんだろうか?と考えるようになりました。東日本大震災後は特に真剣に考えざるを得ませんでした。
少数の投資家が大半のお金を稼ぐ
いずれにしろ、そういう値動きをすることで、少数の投資家は多くの人からお金を稼いでいます。投資(ビジネスも一緒)はごく少数の人にお金が集まるようにできています。彼らはお金儲けが得意か、又は特別な情報を入手できる力があるのでしょう。そういう人たちが根こそぎ儲けを持って行ってしまいます。結果として、大半の人は大なり小なり損をするはずです。
私の考えに異論がある方はいると思います。例えば、現在であれば株をやっている方は儲けている人が多いかもしれません。でも、長期的には損する人が多いはずです。株価が上がり続けることはないのですから、いつかは止まって下り傾向になります。うまい人は引き際を知っていますが、大半の人は引き際を知らないのですから、最初に儲けていても最終的に損する人が多いはずです。
自分は投資の経験も実力もあるし大丈夫だと思っている方もいるでしょうが、私は特定の個人の事を言っているわけじゃなく投資家全体のことを言っています。
大抵ビジネスのセミナーに行ってアンケートを取れば、皆自分はビジネスで成功すると思っています。でも現実に成功するのはその中の一部です。皆がビジネスで成功することは、社会の構造的にありえないからです。失敗する人は努力が足りないと言う人もいるでしょうが、そのような主張をする人は、お金儲けの術は知っていても、資本主義の都合の悪い部分は見えていないか、あるいは見ようとしないかのどちらかだと思います。
実際、日本でも貧富の差は広がっています。金持ちの中には信じられないくらいお金を持っている人もいるはずです。そのお金はかつてはどこかの誰かが持っていたものです。そうじゃないと、収支が合いません。
東日本大震災当時の投資経験
私は東日本大震災が起きるまで投資を行っていました。大地震が起きた後は電気がないですし、ネットに繋がらないのですから当然チャートのチェックはできませんでした。でも、仮にネットに繋がることができたとしても、最初の1週間はそれどころじゃなかったです。しばらく大きなショックの中で生活していましたが、電気などのインフラが少しづつ回復していきネットに繋がるようになったので、震災後初めてチャートを確認した時の衝撃は今でも忘れられません。収支表を見ると、なんと大幅な赤字になっていたのです。
まさに踏んだり蹴ったり状態でしたが、最終的には損を取り返しました。収支がプラスマイナスゼロになったので、それを契機に投資はやめることにしたんです。
やめた理由は、チャートを見ていると投資に参加している人たちのいろいろな感情が、透けて見えるような気がしてきたからです。震災時の私のように、どこかの誰かが損をしているということが頭に常にまとわりついて離れませんでしたから、投資に集中できなくなりました。勝つためにはどこかの誰かには不幸になってもらわないといけません。投資は自己責任だ、と言う人もいるでしょうが、それだったらそれで構わないと思います。私も震災前は自己責任だと思っていましたが、今は異なる考えになったというだけです。
別にナイーブな感情論で言っているつもりはなく、例えばアメリカでは、儲けている大きな投資会社などの重役には専任のSPを付けるというニュースを何年か前に見ました。つまり、そうでもしないと不安なんでしょう。自分で誰にも恥じない恨まれないビジネスを行っていると思っているなら、わざわざ高い金を使ってボディーガードを雇う必要はないわけです。SPを付けないと不安な理由がどこから来るんでしょうか。
投資は誰かを犠牲にして成り立っています。特に他人の不幸は、大きければ大きいほど価格を大きく変動させ、一部のお金儲けの才能のある投資家を喜ばせます。中東の戦争時も原油の価格が高騰して一時期相場が過熱したことがありました。戦争で人が死んでいるのに、地球の裏側ではそれを喜んでいる人がいるわけです。大震災が起きた時も、海外投資家が一気に円買いに走りましたが、被害にあっている私たちのことなんか気にもしていなかったんでしょう。まさに弱肉強食ですね。
弱肉強食の考えを完全に否定するつもりもないんですが、何か最近都合よくその言葉がそこかしこで使われている気がしています。弱肉強食については別のページで改めて書きたいと思います。いずれにしろ、世の無常を感じて仕方がなかったんです。
でも、投資が存在しないと困る人が現にたくさんいるわけですから、社会に必要なことに変わりはないと思います。よろずは元々性格的に投資が合わなかったのかもしれませんし、東日本大震災を経験したからこのような考えになったのかもしれませんが、ここで書いたことが今の私の考えです。
(本文を読んで不快になられた方がいたら申し訳ありません。私は結局投資で稼げなかったわけですから、これ以上の損をしないための屁理屈だと思ってください。)
おわり