日本の現状と目指すべき道 上

1.日本人の国民性と近年の変化

ここでは、普段私が感じている日本人の特徴について下記にまとめておきます。記事ページ「なぜ学問をするのか?(社会的理由)」で書ききれなかった具体的内容のまとめという形で掲載します。

主に弱点を中心に列挙していますが、もちろん良い面もたくさんあることは知っています。別に日本人を否定したいわけじゃなく、弱点を克服することで今後の困難を克服する力を身に付け、過去の過ちを繰り返さないようにして欲しいからです。

1-1.順強逆弱

まず日本人の一つ目の特徴として、順境、つまり勢いに乗っている時にはめっぽう強いですけど、逆境になって歯車が狂い始めるとなし崩し的に崩壊する精神的な脆さがあると感じます。

例えば、第2次大戦で破竹の勢いで進軍した日本軍が、ミッドウェー海戦での敗北を機に一気に劣性にまわりました。また、戦争中は鬼畜米英を唱えて強気だったのに、戦争に負けた途端に手のひらを返したように米国にゴマすりを始めました。

そして戦後の高度経済成長でも、一時は「Japanアズナンバーワン」と呼ばれてアメリカすら飲み込むほど勢いがありましたが、バブルが弾けた途端に国民全体が弱気になってしまいました。お金に依存した強さだったために、その精神的支柱が失われたことによって心も弱くなってしまったんでしょうか。

前回紹介した安岡氏の書物『禅と陽明学(下)』にも書かれていますが、著者は現実に大戦を潜り抜けて戦後の高度成長時代を見てきました。そういう人だからこそ、日本人の強さも弱さも両方わかっており、話にも重みがあると思います。安岡氏のエリート志向的な考えには賛同できませんが、おっしゃる事に関しては非常に参考になりました。日本人が戦前・戦中・戦後にどういう行動を取ってきたのかよく知っておいた方が良いと思います。

何というか、強固な精神を持ってはいても柔軟性がない感じで、あまり負荷を掛けると途端にポッキリ折れるような感じがします。

1-2.シーソー的価値観

次に、一方を見るともう一方の事を忘れるような、日本人のシーソー的価値観について話したいと思います。一番わかりやすいのが、戦中の軍国主義と戦後の平和主義でしょうか。価値観は真逆で極端ですけど、考え方の本質は全く変わっていないように見えます。

駆逐艦を護衛艦と読んだり、戦闘爆撃機を支援戦闘機と呼ぶことに何の意味があるのかわかりません。ただの言葉遊びに過ぎないと思いますし、このようなことはいつまでも続けるべきではないと思います。平和な時代がずっと続けば良いですが、混乱が始まった時に大きな足かせになる可能性があります。

他にも「プチ整形」「援助交際」みたいな言葉が昔流行しましたが、このように本来の意味を隠して、一見大したことのないような印象を与える虚飾で彩った言葉が、いつの間にか真実のように語られる風潮に危険性を感じます。言葉は非常に注意して使われるべきだと思います。

1-3.職人気質

また、日本には職人気質の人が非常に多いと思います。良く考えればその道のプロフェッショナルがたくさんいるとも言えますし、そういう人たちのおかげで、現在の日本は経済大国や技術立国になれたんだと理解しています。世界でも類を見ない偉業には違いありません。

一方、この専門性の高さが、横の繋がりに乏しい縦割り社会を形成しているとも言えます。エンジニアはエンジニア同士で、農家は農家同士で、医者は医者同士で、経営者は経営者同士でそれぞれ人間関係を構築しており、部外者が自分の専門分野に意見をすると、「素人は口を挟むな」という論調で聞く耳を持ちません。

原発事故なんかは、縦の繋がりに固執して部外者の意見を全く聞かなかったために起きたようにも見えます。また、海上自衛隊と海上保安庁の仲の悪さや、警察と公安の仲が悪いのは有名な話ですが、いざとなったら縄張りにこだわらずに一致協力できるんでしょうか?

縦割りの悪弊は今に始まったことではなく、封建主義社会の慣習(士農工商や武士道社会)が現代にも目に見えない形で残っているからです。悪い意味での儒教の風習と言えますから、『福沢諭吉』が明治近代化に向けて、儒教の教えを徹底的に排撃しようとした理由も今では少し理解できます。

国民の心がバラバラの状態だと、非常事態が起きた時に困ります。そのような状況を憂いて人心をまとめようと、必ず強権的なリーダー(英雄または独裁者)が出現し、国民全体を無理やりにでもまとめるでしょう。そうしないと、目の前に迫る危機に対処できないからです。

一歩間違えれば軍国主義や独裁者の再来を招くかもしれません。あまり現実感がない話かもしれませんが、世界の半分以上の国は独裁体制の国家であること、また隣国にも自由のない国家が存在する現実に留意すべきだと思います。日本人は戦中の軍国主義の体制から自らの力で民主主義を取り戻したわけではないので、独立戦争を経験したアメリカとは自由や平等に対する経験も覚悟も異なるように見えます。その点が若干不安を感じる部分です。

アメリカが銃社会な事を否定的に見る人が多いですが、私はこの点で異なる見解を持っています。悲劇的な銃による事件がアメリカ国内で頻発していますが、彼らはそれでも銃を手放そうとしません。それは彼らにとって、銃が単なる武器ではなく「自由の象徴」だからだと思います。過去の経験でそれを知っていますから、現実主義にならざるを得ない面があるのかもしれません。

アメリカの一般人でさえ普通に銃で武装していたりするんですから、ある意味最強の国防戦略です。中国では絶対にできないことです。

1-4.悪い意味での『中庸』の実践

最後に、『中庸(中道)』について説明したいと思います。中庸とは、真ん中や中間という意味ですが、哲学的に言えばもっと深い意味があり、難しい概念ですので、私もまだよくわかっていません。日本人はよく悪い意味での『中庸』を実践しているような気がします。

簡単に言えば、本来の中庸とは時・場所・状況・立場(時処位)などの複合的な変数や条件を考慮した上で、最もバランスが取れた最善の選択肢を見抜くことだと思います。ただし、条件として良知や誠に沿って大道を歩んでいるという大前提がありますけど。理性や論理よりも直観の方が正しい選択だったりしますので、これを体得するのは難しいです。

中江藤樹の高弟である熊沢蕃山やその流れを汲む横井小楠は、この『時処位』を心得ていました。ここで、大橋健二著の『日本陽明学 奇蹟の系譜』より、勝海舟と坂本龍馬の逸話を引用します。


勝海舟が横井小楠と西郷隆盛を評して、次のように語ったことは有名です。
「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲とだ。(中略)横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだと心配して居た」
『氷川清話』より

「小楠といふ男は、元来物に凝滞せぬ人であった。これがゆえに一個の定見といふものはなかったけれど、機に臨み変に応じて物事を処置するだけの余裕があった。からして何にでも失敗した者が来て、善後策を尋ぬると、その失敗を利用して、これを都合のよい方に遷らせるのが常であった」
『同上』

また、勝海舟の門人である坂本龍馬も、龍馬が西郷隆盛と話し合っていた時に西郷が「其説しばしば動き、一定不変の識見を欠く」と小楠に批判的だったのに対し、次のような擁護を述べたそうです。

「元来横井は識見に富み、頗る先見の明あり。故に其説の変ずるものは、尋常変節の徒類と同一のものものに非ず。貴殿の如く常に自己の説を固持して変ぜざる者は、固陋管見(ころうかんけん)に陥るの弊を免れず。千変万化の渦中に投ずるに際し、其の用に適せず。横井小楠を変節と非難するは其人の不明に依る」
藤本尚則『坂本龍馬』より


悪い意味での中庸の例として、私は「どっちもどっち」という言葉が好きじゃありません。もちろん、ちゃんと理の通った説明があれば良いのですが、大抵よく考えもせずに一言で済ます人が多いからです。安易な妥協や中立的立場は一見無難な処世術に見えますが、下手をすると新たな問題を生み出したり、両者から嫌われるなどのリスクがあります。随分前に韓国の盧武鉉大統領が「バランス外交」を行って大失敗したのは記憶に新しいんじゃないでしょうか。

いじめもそうで、いじめられる側からしたらいじめる本人も嫌いでしょうが、同じくらいにそれを離れて傍観している人たちも嫌っているはずです。何もしないということも場合によっては罪になります。いじめる側もいじめられる側もどっちもどっちだと言われては、やられる方はたまったものではありません。

前回説明した台湾と中国のエピソードも同じで、何もしないことが逆に状況を悪くすることだってあるでしょう。チベットやウイグルにしたって、彼らがいくら酷い扱いを受けても、国連や国際社会は何もしません。

そう考えると、いざとなったら国際社会が日本を助けてくれるなんて間違っても期待してはいけないと思います。中国包囲網を作って味方を多くする努力も大事ですが、最悪日本単独でも戦うという強い意思が示されなければ、誰も付いてこないでしょうし信用してくれないはずです。

2.日本の国内問題

次に、日本の国内問題に関して書きます。例えば下記の事柄です。

  • ● 少子化と高齢化
  • ● 医療保障費の増大
  • ● 国民年金の負担増
  • ● 国の借金
  • ● 貧富の格差の拡大
  • ● 犯罪の増加と自殺率の高さ
  • ● 原発事故による汚染水の拡散

etc

多くの問題はまだ表面化していませんが、いずれ何かをきっかけにしてまとめて噴出してくると思われます。

それらを一つ一つ解決していくことは、時間的にも経済的にも政治的にももはや不可能ですから、ある程度の混乱を覚悟しておく必要があるんじゃないでしょうか。それらの解決策は、個々に考えるのではなく、根本的な問題を把握した上で、一人一人の自己改革から始めるしかないと思います。具体的には学問と自省を通して自得することです。それ以外に考えられません。

2-1.国内問題の鬱憤はすべて内に向けるべき

私が個人的に最も懸念しているのはこの部分で、今後上記の国内問題が露わになって社会が混乱しても、決して外に責任を押し付けないように注意しなければいけません。

特に隣国の軍事的挑発と共に、八方ふさがりの国内問題とが相まって、短絡的な強硬保守思想が蔓延するのが一番怖いです。そうなると、外に原因や責任を押し付けて、自分は何も悪くないという中国や韓国と同じ過ちを、日本も辿ってしまいます。

保守思想や愛国思想は、自分を持っていない人にとっては自らの存在意義(アイデンティティ)にすり替わってしまう危険性があるので、十分な学びと熟慮が必要だと思います。私は20代の頃、ほんの一時期ですがこの過ちを犯してしまいました。自分の弱さを覆う、丁度良い隠れ蓑になってしまっては元も子もありません。

2-2.食糧の問題

食料の確保は、生命の維持に欠かせませんから一番大事なことだと思います。政治の世界では、農業の競争力強化や効率化を旗印に機械化による大規模農業を推進しているように見えます。でも、自給率だけを向上させても意味がないんです。

東日本大震災が起きた直後、スーパーマーケットから食料が完全に消えた時期があります。そして一部のスーパーでは、通常の数倍の値段で食料が売られていました。もちろん、震災で食品の仕入れ値が跳ね上がったでしょうから、スーパーも食料品の値上げを仕方なく行った事は十分理解できます。決してそのことに関して不満を言っているわけではありません。

私が言いたいのは、これが資本主義の需要と供給の厳しい現実だという事です。需要があるのに供給が途絶えた場合、つまり本当に困っている時には、足元を見られがちになります。困っていない時には、安い値段で食料が溢れているのに、困っている時程高い値段で食料が取引されます。

その時お金がない人はどうすれば良いのでしょうか?一時期、食糧が配給されたこともありましたが、それだってすぐに中断しましたから、完璧とは言えなかったように感じます。

他のページでも書きましたが、その状況で私が救いを見たのは、個人と思われる農家の人達が被災者たちに野菜を配っていたのを見たときです。あのような素早い行動は、個人だからこそできることです。農作物を一か所で大量栽培しているような大企業ではできません。

なぜなら、食糧を被災地に運搬するには、燃料が必要になるからです。当時は燃料も不足していましたので、食糧と燃料どちらかが欠けても困っている人たちに食料が届かないことになります。ですから、例えば北海道だけ自給率が高くてもしょうがないんです。

一部に限定された自然災害であれば、まだ自然が相手ですからあるがままを受け入れざるを得ない面がありますが、これが日本全体を巻き込むような人災(戦争など)ではどうでしょうか?燃料が足りなくなったら場合はどうするのでしょうか?

トラクターだって燃料で動いていますから、近代農法を行っている大規模農家は野菜や穀物だって満足に作れなくなります。また、流通の大動脈を同時多発的に破壊されたらどうするんでしょうか?

平和な時であれば、自衛隊も余力を持って国防と災害救助の両面作戦が可能かもしれませんが、もし敵が侵略目的で意図的に国内の流通を分断させるような破壊工作を行ったら、少数精鋭の自衛隊だけでは大変なのではないでしょうか?

そのような可能性をどこまで想定しているのか、原発事故の対応のお粗末さを見る限り、かなり不安ではあります。隣国との緊張が高まっている現在は特にそう思います。

対策を取るためにはお金が必要だという人もいるでしょうが、常識という枠に捉われないで、もっと自由に長期的視野でお金がかからない方法を模索してもいいんではないでしょうか?視点が欧米諸国にばかり向いていると、想像力も限定されますから、もっと視野を広げるべきです。

例えば、キューバは長年自給自足の国家体制作りに励んできた国です。今では「都市農業大国」とも「自給する都市」とも呼ばれています。『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』という書物に詳しく書かれています。

もちろん、キューバは社会主義国家ですし、アメリカの敵でもあります。だからと言って、主義思想が異なる彼らから何も学ぶべきものはないのでしょうか?

当然綺麗ごとばかりではなく、多くの問題もあるでしょう。しかし、最初からできないと思って何もしなければ、いずれ到来する大きな災厄に対応できません。何もしなかった責任は誰が取るんでしょうか?最初から誰も責任を取らなくても済むように、早めに根本的な対策を考えておくべきだと思います。

「日本の現状と目指すべき道 下」に続く

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