自然の法則と宇宙の法則

最近自然に関することをよく書くので、今回は宇宙のことについて書きたいと思います。

いきなり突飛な話になりますが、

「なぜ宇宙が存在するのか?」
「宇宙の外には何が存在し、何のために存在するのか?」

ということを最近疑問に感じています。

出来過ぎな世界

磁石 磁界宇宙 不思議な現象自然や宇宙を考える際、世の中があまりにも出来過ぎに感じることがあります。物理法則一つとっても、いったいどこの誰が作ったルールなんでしょうか?

注意:ここで言っている自然とは、あくまで人が認知できる範囲内での自然です。広義では宇宙も自然の一部と考えらるかもしれませんが、この記事上では違います。

自然を見ると、無数の異なる生物がこの地球上に存在していますが、彼らは完璧な共存共栄のバランスを保ちつつ生きています。植物、微生物、鳥、魚、哺乳類(人を除く)などすべての生物の性質が異なるのに、それでも何らかの形で全体の生態系と繋がっていて、自然の中で役割を持っています。

驚くべきことは、彼らが本能で生きているのに全体の生態系のバランスが取れているということです。

別に彼らは知恵を働かせて自然の生態系のバランスを取ろうとしているわけではありません。あまりにも完璧に出来過ぎていて、彼らの生命活動を傍から見る分には美しさすら感じます。

一方、宇宙に関しては私の理解できる範囲を超えているので説明しようがありません。一説には宇宙は膨張しているという話もあります。なぜなら、今の技術で観測できる一番遠く(150億光年先)にクエーサーと言うものがあるらしいのですが、そこから先は光と同じ位の速度で私たちのいる銀河から遠ざかっているので、観測できないということなのです。

さらに、私たちから見たすべての銀河が光速に近い速度で離れていっているという事実から、宇宙が膨張し続けているという結論になるとのことです。

普通気体だったら膨張すれば密度は下がりますが、そうなると宇宙もいつかは収縮し始めるんでしょうか。最初宇宙をゴム風船みたいなものだと想像したんですが、そんな単純な理屈ではないと思いますし。この場合、宇宙空間そのものが膨張しているんですから、そもそも質量保存の法則が成り立つのか疑問です。それとも別の法則が宇宙には存在するんでしょうか。

偶然という名の必然の可能性

自然界の虹宇宙の虹自然や宇宙の美しい写真を見れば、私はそこから畏怖を感じることがあります。偶然でできたにしては、あまりにも完璧すぎるように私には見えてしまいます。

地球を考えても、まるで私たち生物がそこに住めるように、わざわざお膳立てしてくれたようにすら感じます。宇宙の中で地球が生まれたのは、偶然の産物かもしれませんが、そもそも偶然だと見える現象にも私たちが認知できないだけで、そこに何らかの意思が関わってはいないのでしょうか?

例えばアリは地球が丸いということも多分知らないだろうし、地球の外には宇宙が広がっているということも知らないはずです。なぜならアリにはそれを認知する能力がないからです。自力で宇宙には行けないのですから当然です。

無知の知

人はまさに、孫悟空がお釈迦様の掌で踊っているお話と同じ状態なのではないかと思うことがあります。世の中のすべてを知っているつもりが、実は何も知らなかったんだということです。私たちが知っていることは、限定された条件下での知識でしかありません。少なくとも宇宙に関しては、私たちはほとんど何も理解していません。

(よろずは無知だから、勉強したり考えたりしています。仮に自分が無知でないと思っていれば、わざわざ時間をかけていろいろなことを学ぼうとはしないでしょう。)

宇宙の外に何があるのかを知るためには、自らの肉体(もしくは無人偵察機)を宇宙の外まで持っていくか、又は自らの肉体を宇宙から遥か遠く離れた場所まで持って行って、そこから宇宙全体を観察する必要があります。

このようにすることで、地球がなぜ存在するのかもわかるかもしれませんし、人の存在意義にも何かしらの答えが出るかもしれません。しかし、今の段階では宇宙がなぜ地球の外に広がっているのかわかりようがありませんし、宇宙の先に何があるのかはさらに理解できません。

宇宙は不思議でいっぱいです。

おわり


補足:

本記事の元となった内容を最初に別記事で書いていたのですが、そちらでは自然や宇宙の観点から人の存在意義や人生の意味についていろいろ考察していました。しかし、一般に公開するのは止めることにします。

理由の一つは、自然からの観点で世の中を見た場合、見方によってはすべてが無意味だと感じることがあるので、虚無主義的なことを記事内で書いたのですが、そもそもそんな話を聞きたい人がどれだけいるのか疑わしかったからです。

虚無思想に関して興味がありましたら、書籍「人みな骨になるならば-虚無から始める人生論」を読んでみると良いかもしれません。随分前に読んだ本ですので、当サイトでのレビューはしませんが、簡単に紹介すると著者の頼藤さんは精神科医で、ご自身がガンに侵された前後に書かれた本です。自らの生と死に向き合い、人生の意味と無意味を問い、そして著者なりの答えを出しています。

金網越しのニワトリ(鶏)宇宙に関しては、私がニワトリを飼っている中で思ったことを例にしつつ、想像上の仮定をしています。結果私たち生命は外部から観察されるために生きているのではないか?などの空想的可能性にまで言及しました。ですから、ちょっと話が飛びすぎたかなと思いました。

私の中ではまるっきり荒唐無稽の話だとも思えなかったので、ここにほんの一部だけですが書いておきます。自然の観点からは一見意味がないことでも、宇宙の観点からは実は意味があるのかもしれません。その方が少なくともロマンはあります。

元記事をまとめると、
自然の視点からの私が考える人生の意味:
「崩れた自然のバランスを直す調整役」または
「この世の全ては無意味」

人知を超えた世界の視点からの私が考える人生の意味:
「人を含んだあらゆる生命活動を外から観察する観察者(仮に存在すれば)にとっては、人や生物が存在することに意味があるのかもしれない。しかし、宇宙の理を知るすべを人は現状持っていないので、全ては想像上の話に過ぎない。」

このような結論で話を締めくくりました。