3Dプリンターで銃を作る男-分別智から生じる歪

下の動画をたまたまYoutubeで見つけたので、ここで紹介したいと思います。

この動画では、新技術の3Dプリンターを利用して銃の製作をしているCodyという大学院生を紹介しています。彼の行為に批判的なニューヨークタイムズのNickという人のコメントや、3Dプリンターを開発した技術者のPettisがどのような動機で開発したかのコメントも動画で紹介されています。

Codyの目指すものは、プリンター銃の設計ファイルをネットに公開して「武器の個人製造」を可能にするということらしいです。そのために会社まで設立しました。彼は番組の中で「銃のない世界は実現しない」と言い切っています。

本動画で登場する主要人物をまとめると、

Cody:3Dプリンターで銃の製作をして、世界にその設計図を広めようとしている大学院生。

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Nick:ニューヨークタイムズの記者。Codyの活動を取材し、そのやり方に批判的。

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Pettis:3Dプリンターを開発した技術者。

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詳しくは動画を見ていただければと思います。


分別智から生まれる技術

私が動画を見た後の感想としては、3Dプリンターを開発した技術者のPettisも、それで銃を開発しているCodyも、分別智に捉われている事によって矛盾が生じていると感じました。分別智から生まれ出る知恵の功罪は、すでに他の記事でも述べていますが、一言で言えば「一方明むれば一方暗し」ということです。

Pettisは動画の中で、自分が発明した技術を世の中に役立ててほしいという想いがあったのか、興奮して話している様子がうかがえます。NickがPettisに対して自分が開発した技術を使って武器を製造する人たちに対してのコメントを求めましたが、彼はノーコメントで返しています。

自分が開発した3Dプリントの技術が銃の製作に使われ、将来犯罪の道具として使われる可能性を予想できなかったのでしょう。今回のような問題を見ると、社会の様々な矛盾を露呈していると感じます。

経営者・技術者・科学者にこそ哲学や自然など、垣根を越えて広い視野で勉強してもらいたいと願っています。そして、現代人にとって価値があり、常識だと思っている「知」に対して疑問を持つ事で、その矛盾に気づいてもらいたいです。それぞれが自分の専門分野だけを勉強して知的好奇心を満たしたり、また人々のためを想って純粋に研究や開発をしていたとしても、その根本にある想いがどうであれ危険な結果を生み出しかねないことは、十分に認識しておかなくてはなりません。好き勝手に道具を作っておいて、それをどう使うかは使用者次第、なんて話にはならないと思います。

開発者自らが必要に応じて技術の発展を自制することも必要ですが、世の中全体があらゆる側面からバランスや調和のとれた社会の構築作りに協力、努力していく姿勢も不可欠だと感じます。しかし、現在の資本主義の社会では現実的ではありません。なぜならば、仮にPettisが技術の開発を自制したとしても、他の誰かが開発を続けて技術を完成させてしまうために、自制した方が結果的に競争社会では敗者になってしまうからです。

Codyは世界中の人が銃を手に入れられるべきだと主張していますが、その理由がいまいちよくわかりませんでしたので、なぜ自由のために銃が必要なのかを説明する必要があります。

1.善や悪という概念

アメリカ全米ライフル協会の副会長が「銃を持った悪人を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と言っています。アメリカは多分この考えによって、世界の超大国になれたんだと思いますが、同時に同じ考えで自滅していくような気がします。

皮肉なことですが、善人が存在するためには悪人の存在もまた必要です。善や悪という概念がいろんな矛盾を生み出しており、その矛盾の一つとして挙げられるのが、善が強くあろうとするほど悪も結果的に強くなるということだと思います。まるで抗生物質で細菌を叩き続けているうちに、いつのまにか細菌が耐性を付けて強くなっているようなものです。物事を分けて考えていますから、これも分別智の一つと言えると思います。

国家間でも善や悪は相対的なものですから、当然お互いが自分たちを正義だと主張します。自然から見れば、唯一無二の絶対的な善や悪など存在しません。

2.技術は問題を解決するために存在する?

3Dプリンター

3Dプリンターでの銃の製造に批判的な記者、Nickが「技術は問題を解決するために存在し、人を殺すためのものではない」と語っています。しかし、その解釈はちょっと都合が良過ぎるんじゃないでしょうか?技術の多くは分別智に由来しますから、光も生み出しますが、同時に新たな闇も生み出します。智を円通させたり和光同塵によって、分別智の負の側面を和らげることは可能だとしても、基本的にそこから逃れることはできません。

問題なのは、生じるであろう闇が個人や社会にとって、どれ程までだったら許容できるかです。大抵「夢の技術」と世間で持て囃されている「知」ほど、負の代償も大きい傾向があります。今回焦点となっている3Dプリンターも画期的な発明には違いありませんし、いろんな可能性を秘めています。しかし光が大きいからこそ、そこに広がる闇も大きいのです。

多分自然農法の福岡正信さんは、こうなることがわかっているために「知恵」を否定なされたんだと思います。ただし、人の知恵を否定するような内向きの思想を、抵抗なく受け入れられる人は私も含めてほとんどいないでしょう。

現在の技術を緩やかに維持・発展しつつ、できるだけ自然や社会全体に問題を生み出さないような形で人類が生きていくためには、人が欲をコントロールして「足るを知る」ことの重要性を皆が認識し、それを実践する事しかないと思います。自然から与えられた人の知恵を我欲や人間本位のためだけに利用すれば、その代償を人類自らが必ず支払うことになります。

経済戦争

AR-15-test-shooting本来、お金儲けを好きなだけしておいて、争いや戦争は嫌だなんて都合が良過ぎるんです。特に日本人はこの傾向が強いと思います。お金を稼ぐことと、争いを分けて考えています。

中東で戦争が頻発するのもお金になる原油が産出されるからであって、日本が今まで争いから離れて暮らしてこれたのは、資源を持っておらず、さらに強大なアメリカの後ろ盾があったからです。ただし、現在は尖閣海域周辺で資源が採れる可能性が浮上していますから、この事実だけでも日本が将来戦争に巻き込まれる十分な理由となるでしょう。

欲や不安感によってお金儲けをし、また同じ理由から争いや戦争が起こります。元の原因が同じである以上、この2つを切り離して考えることはできません。他に事故や犯罪も同様で、人の欲や感情が間接的原因になっていることが多いと思われます。

アメリカ人はこの点では潔く、彼らはお金儲けから生じる競争や争いを否定していません。敗者や犠牲者が出ることを前提で行動しています。不幸な人たちを生み出している代償を、彼らはいろいろな形で支払っているわけですが、具体的には皆さんご存知の事だと思いますので、あえてここで言う必要はないと思います。本動画の主役、Codyも自由の名の下、個人で銃を製作してそれを世界に広めようとしていますが、そこから生じる結果もある程度は覚悟していると見てよいのでしょうか?

福岡さんや川口さんが、無差別智(無分別の智)を学ぶ重要性を何度も強調しておられる理由もわかります。しかし一方で、知恵を否定し、科学技術を否定しても、人々は付いてこれません。知恵を肯定し、ある程度の技術を受け入れ、かつ調和がとれた世の中を人類自らが創造できなければ、いずれ行き過ぎた繁栄の代償を支払うことになります。

銃には全く責任がないのか?

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動画のコメント欄に、「人を殺すのは銃じゃない。人間だよ。」という発言がありました。これはどういう意味で言っているのかはっきりわかりませんが、そのままの意味として受け取れば私も一応納得はできます。ただし、人を殺すのは人間なんだから銃は悪くないということを言いたいのか、又は人を殺すのは人間だから、人間そのものをどうにかしないといけないという意味なのか、銃を肯定しているのか、それとも人に原因があるということを強調したいのか、それによって私の受け止め方も変わります。

銃は車などと異なり、製造された目的は生命を効率的に殺すことです。銃そのものは感情の通っていない道具に過ぎませんが、作った人の意志は銃のデザインや機能などに反映されています。銃を扱う人がその結果に対して一番責任を持つのは当たり前だとしても、銃の存在そのものに責任が全くないかというと、そうも言いきれないような気がします。

ちなみに、銃のビジネスで成功を収めた実業家ウィリアム・ワート・ウィンチェスターの未亡人、サラ・ウィンチェスターは他人を犠牲にして得た富によって建てられた自分の屋敷が呪われていると深く信じていました。その結果、霊障から逃れようと自分の屋敷を無計画に増築し続けたといいます。彼女は巨万の富を得る代わりに、罪の意識にさいなまれ、生涯安息に生活することができませんでした。

子供の好奇心

記者のNickが動画の中で語っているように、将来3Dプリンターを使う層の中に間違いなく子供が含まれるでしょう。どこの国でも同じだと思いますが、子供は基本的に戦争ゲームが大好きです。特に欧米の子供はCODなどのFPSゲームに慣れ親しんでいますし、ゲームの中で登場する銃が実際に作れると知れば、喜んで製作しようとするはずです。

子供の好奇心は馬鹿にはできません。場合によっては、大人顔負けのことをしでかす可能性もあります。

Codyの考えと現代社会の矛盾

彼の政治に関してのコメントは同意できる部分があります。若いですから知識などには偏りはあると思いますが、世の中の矛盾を感じて、それを無視できない気持ちもわからなくはありません。しかし己を省みず、問題が外にだけ存在するという思考態度では、はっきり言って周りが迷惑するだけです。銃のCADデータを世界中にばら撒けば、確かに世の中の大きな変化を見ることは可能でしょう。しかし、彼はその責任を取る気はあるのでしょうか?

Codyは銃規制を推進する人たちに対して、次のような反論をしています。

規制賛成派:30発以上の弾丸が本当に必要なのか。自衛目的ならそんなには必要ない。きっと悪用される。

これらの意見に対して、Codyの反論はこうです。
Cody:家を2件買う事や40万ドル以上の年収が必要か?(自分の身の丈以上の物をなぜあなたたちは欲するのか?)

つまり、彼は自分や他の規制反対派が多くの弾丸を保有するのは、一般の人が家を2件買ったり40万ドル以上の年収を求めていることと一緒だと主張したいんだと思います。確かにその通りで、自分達だって生きていくために本来必要以上の物を求めているくせに、銃にだけいちゃもん付けるなという理屈もわかります。

私の考えすぎかもしれませんが、足るを知らず、必要な物以上を求める欲や行動が結果的に貧富の差を生み、事故・犯罪・戦争が起きるということを彼は理解しているのかもしれません。銃を自分で作り、それを世の中に広める決断をしたのは、この世が救いのない世界だと認めた上で、自らも割り切ってその世界で生きていくことを決意した表明だったんでしょうか?

いずれにしろ、彼個人に対して銃データのネット拡散を止めるよう説得するためには、彼だけが間違っている、という思考態度で接するのではなく、私たちも過ちを犯している、という厳然たる事実を謙虚に受け入れる寛容な態度が必要かもしれません。そうしないと彼は心から納得しないでしょう。

法律や規制を新たに作って銃を作らせないように制限を加えることは可能ですが、そのようなことをすれば多分火に油を注ぐ結果になるはずです。

銃や武器の携帯に関して私の意見

ammunition私は基本的に個人が自由に銃を所持・携帯するのは反対です。間違いなく碌な世の中になりません。でも、日本に限定してだったら警察や自衛隊が銃を厳しく管理するという条件において、訓練目的での個人使用は許可されてもいいんじゃないかと思っています。なぜならば、自らの意志で戦う訓練をする事は、生物としての本能・個人の主体性確立・国防などの観点から有用だと私は感じており、普段から牙を抜かれて生活している人達は平時には問題を起こさなくて扱いも楽でしょうが、有事にはビビッてパニックを引き起こして足を引っ張る可能性があるからです。原発事故後に水の買い占め騒動が起きたことを、忘れてはいけないと思います。

将来、目前に脅威が迫っているのに、未だに憲法解釈がどうの、集団的自衛権がどうの、武器の使用がどうのという表面上の議論をしている政治家の姿が目に浮かびます。多くの人生を狂わせた原発事故でさえ、上も下も誰も責任を取ろうとしない国民性なのに、国防や戦争に対して真正面から責任の取れる気概の持った政治家が、今後誕生するのを期待する方が間違っています。日本は民主主義国家である以上、国民自身が変わらない限り未来はありません。

自由と個人主義

Codyは自由を主張している一方で、自分の事しか考えていないようにも見えます。彼のCADデータを使用して世界中で製作された銃は、間接的に多くの犠牲者や不幸な人を生み出すことになると本人も十分理解しているはずですが、そこの所をどう考えているのか今一わかりません。仮に近しい人が犠牲になったとしても、己の信念は揺らがないのでしょうか。とにかく自分で撒いた種の結果は、自分やその周囲の賛同者だけで被ってもらいたいものです。

私も基本的に自分のことしか考えていない個人主義者ではあっても、もう少し周囲の状況も考慮に入れて考えたり行動するようには努力しています。自由を主張して好き勝手に行動すれば、単に社会を混乱させるだけだと夏目漱石も「私の個人主義」の中で言っていますから。

1.世界にプリント銃を広める真意

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Codyは銃を個人が簡単に手に入れられる世界を想像すると、ワクワクすると言います。この発言を聞くまでは彼の考えも一理あるかもしれないと思っていましたが、発言を聞いた後、私は彼の考えに共感を示すことが難しくなりました。

要は自分が混沌とした社会を楽しみたいだけのようにも見えるからです。Codyの社会的な意見も彼の行動の免罪符のようにも感じられます。例えば、動画の中で世の中の問題をいくつか指摘していますが、それらの問題と彼の銃の製作となんの関係があるのでしょうか?彼が銃を製作してその設計図を世の中に広めることで、彼の主張する問題は解決するのでしょうか?理屈がよくわかりません。

彼なりの信念を持って行動していることはわかります。しかし、あまりに多くの人たちに影響を与えかねないため、軽く見過ごすのも危険だと感じます。少なくとも人類の幸福を考えているような発言は、この動画からは聞くことが出来ませんでした。

アメリカで銃の乱射事件が頻繁に起こっている現状について、Codyはそれらを防ぎようのない事件だったと言っています。確かに銃による不幸は防ぎようがないかもしれませんが、だからと言って引き金を引くだけで大量殺戮が可能な銃を世の中に広めることが肯定されるわけじゃないでしょう。

Codyが最終的にどんな世の中を望んでいるのか、それがはっきりと語られていないのが気になります。

2.引き起こされる規制の強化とその代償

3D-Printer私も彼と同じように自由を求めているため、彼の自分勝手な行動のせいで、国家が新たな法律を作ったり、規制を強化する口実になるのではないかと懸念しています。日本が3Dプリンターを国内に輸入する時には、恐らく強い規制を国民に課してくるでしょう。皮肉なことに、Codyのような自由を標榜する人たちのせいで、個人の自由が制限される新たな法律が作られる手助けをしてしまうのです。

日本には過去にHDDレコーダーのコピーワンス機能や、一週間経つと使えなくなるDVDなどを作って販売した前例があります。外国では考えられない規制や制限でさえも、日本人は当たり前のように作って、さらにそれを受け入れてしまう従順的国民性があるようです。日本がガラパゴスと言われる所以の一つと考えられるでしょう。

昔、オーストラリアでシェアハウスに住んでいた時、同居していた日本人がバスルームや台所の使い方に対して細かく書面でルールを書いていたのを思い出しました。通常欧米のシェアハウスなどでは同居者に対して、紙に書いてルールを決めるなどということはしません。相手の価値観や考えを尊重する文化があるからです。

つまり何が言いたいかというと、日本人には同じ日本人に対して好き勝手に行動されるのを極端に嫌う傾向があるようにみえます。(彼らから見て)想定外の行動を取らせないように、法律や規制で最初から個人の自由を縛ってしまうのです。

Codyの軽率な行為によって、将来日本は余計なとばっちりを受けるのでは?と懸念しています。

まとめ

私がもし彼に何かアドバイスできるとしたら、生き物を飼ったり農業をしてみることを勧めます。それと、あまり哲学的な話が動画中に出てこないので、多くの文学などの作品を読んで欲しいです。過ちを犯してからでは遅いですから。でも、仮にCody個人を止めることができたとしても、彼の賛同者が計画を続行するでしょうから、もはやこの流れは止められないと思います。

Codyに限りませんが、アメリカ人の主張する自由は必ずどこかの誰かを犠牲にすることが前提のようです。皆で共存しようという考えが希薄で、日本人はその点でまだ救いがあると思います。東日本大震災の時も助け合う人が多かったですし、暴動も起きませんでしたから。

アメリカはアメリカでいろいろな問題を内外に抱えているのは明白ですので、できれば彼らの問題は彼ら自身で解決してもらいたいと思います。しかしながら一方で、グローバリズムや近年話題のTPPなどを考慮すると、望みの薄い願いだとも分かっています。

おわり

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