自らの信念を実践する人たち
今回、中島正さんの書籍「自然卵養鶏法」や「自給農業のはじめ方」などをレビューしていて気づいたことがあるので書いておきます。
世の中には目先ばかり見て行動したり、結果だけを重視して物事を判断する風潮が強い中で、中島さんのように大局から物事を考えて自らの信念を長年実生活で実践してきたという事実は、非常に重いものを感じます。ですから、私は中島さんの書籍を初めて読んだ時、非常に感銘を受けました。
後に自然農法の川口由一さんの本を読んでも非常に感動しましたが、中島さんの本を読んだ時とはまたちょっと異なった感じの感動でした。川口さんを「静」とすると、中島さんは「動」のような感じがします。
なんていうか、中島さんの本を読んでいると、「今の世の中にはこういう問題がある。だからこうした方がいい。」という主張が養鶏を通して聞こえてきます。一方川口さんの書籍からは、世の中を静かに見つめつつご自分の考えを農業を通して話している感じがします。川口さんは決して強い主張はしません。自らの考えを主張すれば、対立や争いが生まれるとわかっているからです。
私は自分の考えをはっきりと主張するタイプなので、中島さんの物言いは身近に感じますし、聞いていて気持ちがいいです。一方川口さんは物静かな態度ですが、信念はしっかりと伝わってきますし、その深淵なるお考えにはただ敬服するしかありません。
お二方とも日本が右肩上がりの経済成長をして湧き上がっていた時代に、その周囲の熱狂や波に乗らずに淡々と自分の信念に沿って生きてきました。現代社会の繁栄は砂上の楼閣だととっくに見抜いていたからですが、頭ではわかっていても実際行動に移すのは中々できることではありません。
その中で自分の信念を何十年も貫いて生きているんですから、率直にすごいと尊敬します。
私は日本経済が過熱していた当時は子供でしたが、その時を思い起こしてもあまり良い思い出がありません。物質的には豊かな時代だったとは思いますが、まるで幻を常に追っかけていてそれに振り回されていたような気がします。幻想に目を奪われて本当に大切なものに気づけませんでした。夢を見ている人はそれが夢だとは気付かないものです。でもいつかは覚めます。
原発事故で安全神話の夢から多くの国民(私も含めて)が目覚めました。でもまだ多くの幻が日本には存在していると思います。経済発展ばかりを追い求めて他を気にかけてこなかったためでしょう。幻想がいつの間にか常識になってしまっている感じがします。
もちろん、川口さんや中島さんお二方以外にも世の中には立派な方がたくさんおられます。でも、なかなか表舞台には出てこられないのは残念です。本人が目立つ気がないのかもしれませんし、社会がそうなっているのかもしれせん。おそらくその両方だと思います。
ニュースにはなりませんが福島の原発事故は、地道に生きようとしていた人たちの人生を狂わせてしまいました。現実に農業を辞めた人もいらっしゃいます。自然を放射能で汚染されてしまってはどうしようもないからです。私が本格的に様々なことに興味を持ち始めたのも、この自然卵養鶏と原発事故以後の社会の流れを見たのがきっかけです。
でも、原発そのものを否定はしません。なぜなら原発を仮に否定しても問題の根源は解決しないからです。国民が原発をまだ必要だと思うならそれでいいと思っています。
書籍「自然卵養鶏法」の序から、一番最初の文章を引用させていただきます。
「もし『石油と輸入穀物』のいずれかが途絶または不足するならば、大型企業養鶏は壊滅的打撃を受けねばならないであろう。完配とケージによる企業養鶏のシステム化は、骨の髄まで『石油と輸入穀物』によって成り立っているからである」
東日本大震災当時を思い出しても、確かに震災後すぐに卵はお店の棚からすべてなくなりました。普段だったら非常に安価にいつでも買えていた卵がまったく買えなくなっていました。中島さんのおっしゃっていることは現実に当たってしまったのです。燃料が不足したり、物流が何らかの要因で切断された場合の現代社会の脆さをまざまざと見せつけられた思いでした。
石油などの輸入物が途絶えたり不足することで、大きな打撃を受けるのは別に養鶏だけではありません。世間では震災の記憶が薄れつつありますが、私はその事実を忘れないようにしたいです。