夢の中の真実-自分を偽れない場所
夢の中では、自らを偽ることはできません。うれしいことや、楽しいこと、恐怖、不安など私が心の奥底で感じていることや望んでいることを見せてくれます。これらは普段、私たちが理性の殻をかぶって暮らしていますから、なかなか気づかない感情です。
ポルナレフ的に言うと、こんな感じです。
「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは夢の中で走りたいと思っていたら、いつの間にか歩いていた』
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」
理性と隠された本音
夢の中では理性で逃げたくないのに実際は逃げたり、逆に逃げたいのに逃げなかったりと、理性と心の奥底の考えが食い違った時は、必ず後者の行動を夢の中で選択しています。
このような夢を見てしまうと、よろずは自分が弱い人間だということを再認識させられます。
「花の慶次」という漫画で次のような会話があります。
慶次が強面の岩茎に対して、
「虎はなぜ強いとおもう?」
「もともと強いからよ」
「お主はもともと弱いから、そのような凶相になるほど剣の修行をせねばならぬのだ」
と言います。
まったくその通りです。私は元々弱いから頭が沸騰する程考える必要があります。弱い人間は、自分の弱さを受け入れることから全てが始まると思います。現実に弱いのに自分は弱くないと否定しても惨めなだけです。
私はひつじ年なのですが、確かに自分は羊みたいな人間だと思います。羊がいくら訓練したところで虎相手(本当に強い人間)には勝てません。そこらへんの分別は自分でも心得ているつもりです。ただし、私が望む強さはどうしても譲れない場面などで、どんな相手であろうと戦える意志の強さです。自分を曲げない強さです。
そんな時に損得勘定で自分の信念を曲げるようなことがあれば、そこで私は私でなくなると思います。ただし、しょうもないことでしたら多少は妥協しますけど。
おわり
補足:
この記事とは関係ありませんが、他にも「花の慶次」では多くの名言が出てきます。
「人は日に畳一畳米三合有れば十分。……そんな事より、一献くれまいか?」
慶次が秀吉より、「百万石与えるから自分の部下にならないか?」と提案された時の断わり口上です。
これは、人が生きていく上で必要なものは畳一枚分の寝る場所と、米三合の食料だけだという事です。それ以上のものは必要ないし求めないという、言い換えれば「足るを知る」という精神であり考え方です。戦争や争いをこの世から無くしたいなら、この精神が皆に必要だと思います。
一歩間違えば秀吉の機嫌を損ねて殺されるかもしれないのに、それでも百万石よりも一献の酒を選ぶなんて慶次らしいです。でも、こんなこと出来るのは慶次が強い虎だからです。弱い者が真似ると、松田慎之助のような運命を辿ります。
「利休は、本当の自由を知っている人……自由が許される強い人」
自由が許されるには強さが必要不可欠で、同時に自由を知ることも重要だということです。