過去10年のサイト運営で分かったこと-己の探求・修養はたとえ一人でも笑って突き進む

皆さま、こんにちは

久しぶりにサイトを更新しようと思います。

当道楽道サイトは、自分にとっては学びと実践、そして己の探求や修養をする場でもありました。例えますと、ゆりかごみたいなもので、すでに成長し、答えを出している私にとっては、その役割を終えています。

そのため、サイトの更新はせずに、これからは閲覧者も減っていくだろうと考えていたのですが、ここ最近は一定の訪問者数をキープしているようです。

概算となりますけれど、一日当たり30人ほどの訪問者がいらっしゃいますので、一か月では900人、そして1年では10,800人となります。確か、2013年頃にサイトを開設した覚えがあるので、そうすると10年で108,000人の方が訪れた事になります。

約11万人と考えると、ちょっとすごいと感じますし、本当にありがたいと思っています。

ただ、昔から薄々気にはなっていたのですが、それは、今まで誰からもお問い合わせをいただいた事がないという事です。

例外として、出版社の方から一度だけ家のニワトリを掲載したいというご相談がありましたが、それを除けば、過去10年間で最低10万人の方がサイトを見ていらっしゃるはずですが、ただの一つもお問い合わせがありません(笑)。

サイト名が『学問を究める道楽道』である以上、私の目的は、一貫して学問を究め、己を高め・深める事にありましたが、他にも、情報を共有する事で同じ志を持っている人たちと何らかの交流を持ちたいという密かな思いがどこかにありました。現実には、中々そういう人が周囲には見つからないからです。

何か大道芸人を見るような、興味本位または奇異の目で見られることも多いのですが、別に私はわざとやっているわけでなく、それが自分にとっては本気で生きるという事であり、自然体だからです。

現実は映画やドラマとは違います。一回きりの人生だからこそ、面白いとも言えます。

ただ、仕事などで外に情報発信をする事が多くなったためか、いつの間にか、内面よりも外面に意識が向いていたようです。己や他人に同情する事も多くなり、自分がいまだ弱い人間だと痛感させられます。(弱さが必ずしも悪い事だとは思っていませんけれど)

ニーチェが『同情により神は死んだ』と言っているように、志を持った求道者にとっては、同情心は本当に危険です。物語の最後で、ツァラトゥストラは悲鳴を上げている『ましな人間たち』に対して同情している自分に気付き、それを罪と自覚して、最終的には克服しましたが、その意味が何となく分かったような気がします。

自らを高め、深めようとすれば、人の劣善・劣悪な部分を目の当たりにした時に、どうしてもいたたまれなくなるからです。どうにかしたくなります。他人の問題のはずなのに、他人の良い所だけを見たいはずなのに、悲しくて、自分自身が倒れてしまいそうです。

ニーチェの『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』とは、おそらくこういう事なのでしょう。確かに、漆黒の闇に吸い込まれそうになります。恐ろしいです。

同情心を克服し、たとえ一人であっても、誰にも認められずとも、その結果死ぬことになっても、それでも笑って突き進む覚悟がなければ、おそらく私が長年やってきた学問にも意味はないのでしょう。

自分にも、そして他人にもむやみに同情しないという事、それを学ばねばなりません。

その上で、初めて本当の意味で人と交流する事ができると感じます。人生において、戦いで命を預けられる親友が一人でもいれば、それで私は十分です。もしいなければ、「それもまた良し」として進んで孤独の人生を選びます。

この世には救いのない人間、つまり魂や心を失った『おしまいの人間たち』がたくさんいます。臆病者・雑魚に構っている暇はもはやありません。

私のための哲学は、すでに十分語りました。これから私が見たいのは、そしてお会いしたいのは、共に勝利を祝える誠実な勇者(志を持った者)です。

人間は、己一人では正しさを証明できません。自分など取るに足らないちっぽけな存在だと、出来ればその事実を受け入れざるを得ない人物に、いつかは会ってみたいです。

これは万人のための教えではありません。人によっては、薬ではなく毒になってしまいます。時に哲学とは、ドラゴンボールに出てくる超神水のようなものと感じます。一度飲めばしばらくは非常な苦しみを味わいますが、それを克服すれば、強さ(悟り)を得られます。

真理は澄み渡る暗闇・静寂から生まれます、我欲のみを追い求める、雑多な喧噪の中からではありません。

昨今、AIの脅威が取り沙汰されていますが、AIが人間にとって脅威となるのか、それともお互いを助け合うパートナーおよび切磋琢磨するライバルとして、一緒に進化・発展を遂げるのかは、それを生み出した人間次第です。人の心が歪んでいれば、そして明るい未来を見通せなければ、当然AIは相応しい答えを出すでしょう。逆もまた然りとなります。

これが、過去10年間のサイト運営で分かったことであり、同時にこれからの抱負となります。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。