本

よろずは10代、20代とずっと理系の勉強ばかりしてきたものですから、つい最近まで文学を学ぶ必要性に気付くことがありませんでした。義務教育でも国語や現代文の時間で文学に触れる機会がありましたが、何を学んだか全く覚えていないところを見ると、その当時には勉強しても何の感慨も湧かなかったんだと思います。

人生経験の差もあるでしょうが、大きな違いは学ぶ動機が当時の私にはなかったからだと感じます。自分で必要だと思えない分野を勉強することは、苦痛以外の何物でもありません。

学びにはステップがあり、そのステップを超えて学ぼうとしても、当人がその重要性に気づかないので学ぶ動機が生まれませんし、よって知識も身に付きません。小さな子供に対しては、読み・書き・計算・道徳などの最も基本的な勉強は無理やりにでも教えるべきでしょうが、そこから先の勉学は本人の動機の有無が非常に重要になると思います。

文学、道徳、哲学などはそれぞれ別個の分野として捉えるより、すべての学問の土台のような気がします。読み書きできなければ学ぶスタート地点にすら立てませんし、何が自分そして社会全体にとって正しいか判断できないと、間違った知識を深めることになるかもしれません。別に間違ってもそこから学んで軌道修正できればいいのですが、問題はそれをきっかけにして道を踏み外す可能性が出てくることだと思います。

同じ経験をしてもそこから何を学ぶかは千差万別です。準備の出来ていない者に無理やり教える事は、必ずしも良い結果を生むとは限りません。学校教育の弊害の一つがここにあると思います。和を優先するために個や少数を犠牲にする傾向があるからです。ですから、よろずは現在の学校教育が正しいとは思っていません。

話を戻すと、これらの分野は子供が義務教育で勉強するだけではなく、大人になってからもまた新たに学べる部分があると思います。よろずの場合は大人になってから多くの事を学びました。

注:
私の言う「哲学」とは自己流、と言うかなんちゃって哲学です。デカルトなど有名な哲学者の本は読んだことがありません。本は何冊か購入しましたが、私には難解な文章だったため最初の数ページでギブアップしました。それ以来、自分で学んで考えることにしています。