ここからは、引きこもりやニートの方たちに焦点を絞って書いていきたいと思います。もし、これを読んで私の考えに共感していただけましたら、「志士」を目指すことを考えていただきたいです。
注意:
本記事の対象となっていない人から見ると、一部不快に感じられるかもしれない内容が含まれています。引きこもりやニートという立場にいるだけで、多くの人は侮蔑の対象として見てきますし、本文中ではそこまで自らを卑下する必要はない、という強い鼓舞も込めて書きました。
なぜ見ず知らずの人達に「志士」になることを勧めるのか理解し難いと思います。ですから、まずはその説明からいたします。
大きな理由として、私自身が一時期不安や絶望を抱えながら何年も引きこもっていた時期があるからです。もちろん、一人一人の事情は異なりますので、私よりもひどい経験や苦悩をしている方が、世の中にはたくさんいらっしゃるはずです。辛い気持ちの全てとは言いませんが、その幾分かは理解できますので、以前の私のように悩んでいる方が一人でも多く自得して救われて欲しいと願っています。
ただし、私ができることはそのきっかけを提供するだけです。自分を見つけて人生の安息を見つける努力を行うのは、初めから最後まで己自身で行わなければなりません。学びや思考を他人に依存すると、いつまでも余所からの借り物の信念のままですし、いつか自分の心から離れていきます。
例えば、読書などをして啓発されたばかりであれば、最初の一週間位はやる気が続くかもしれません。しかし、数週間後に元気が無くなっている場合は、それが借り物のやる気だったということです。これを余所から来たお客さんみたいな気ということで、「客気」と言います。内から湧き上がってくるような気力「元気」じゃないと意味がないです。そのために自己修養を行います。
ここで佐藤一斎が江戸へ帰る時、師の中井竹山が餞別として一斎に贈った言葉を紹介します。佐藤一斎は『言志四録』を著し、西郷隆盛や小泉純一郎元首相など、その後世に多大な影響を与えた朱王兼学(朱子学と陽明学)の儒者です。
「困而後寤、仆而復興(苦しみて後悟り、倒れてまた立つ)」
「仆而復興」という四字は、王陽明が湛甘泉に書き送った「別湛甘泉序」に由来します。大きく悟るためには、必ず苦しみを経験しなければなりません。苦しくて倒れたら、また立ち上がればいいんです。倒れることが自らの新たな成長のチャンスとなります。それをチャンスと捉えるか、単に不幸と捉えるかで大きく結果が異なります。
辛いことをチャンスと考えられるようになるには、私たちのような弱い人間にとって多くの修養と時間が必要です。しかし、克己は難しい事ですが不可能ではありませんし、場合によっては己に克ち続けることで、偉大な豪傑にまで成長できるかもしれません。
引きこもりになるまで追い込まれるような深刻な悩みを経験しない人たちは、ある意味幸せなことですが、決して世の中の深淵な部分に触れることはできないでしょう。その必要性も感じないはずですが、それは彼らの運命です。同様に私たちもまた、持って生まれた運命があります。生来の繊細な性格を否定しないでください。それらは、大きく成長して「志士」になるためには絶対必要な、天から与えられた能力なんですから。
人間の人間たる所以は「自己沈潜」にある
スペインを代表する哲学者オルテガ・イ・ガセットによれば、「人間と動物とを分かつ最大のものは、『自己沈潜』と『自己疎外』にある」と言います。なぜならば、自己沈潜(内省)できるかどうかによって、人間と動物を分かつ指標になるからです。
これを実際の動物に例えて考えてみると、理解が容易になると思います。例えば猿は、常に不安げに周囲のあらゆる気配に聞き耳を立て、休むことなく注意を払い、警戒を怠りません。この振る舞いは、猿などの動物が絶えず事物、外部のものなど、自分以外の他者によって支配されなければならない宿命を背負っていることを示しています。つまり動物は人間と異なり、「引きこもり憩うところの自分自身」を持っていないということです。
オルテガによると、動物は「永遠の他者」で自分の家や内部を持たないのに対し、一方の人間は「世界から引き籠って自己に沈潜できる」点が最大の特徴だとしています。この自己沈潜とは、自分の信じているものは何か、真実自分が大切にしているものは何か、自分が忌み嫌っているものは何か、を納得し見極めるために思索したり自己の内部に籠もる、ということを意味しています。
ここから、私がなぜ引きこもりやニートほど大成する可能性を秘めていると考えるのか、お分かりいただけると思います。
人類は科学のたゆまぬ発展により、現在では生命の設計図たる遺伝子にすら手を加えようとしています。それは神の領域に踏み込む行為であり、このまま突き進むと「夢の技術は悪夢の技術になりうる」という現実を、私たちは将来身を以て体験することになるかもしれません。
個人的には「智が円通」している限り、科学の発展自体を否定するつもりはありませんけれど、人類全体として考えた場合、「物質的な発展」と共に「精神性の向上」も探究する必要があると考えています。人類は孔子・キリスト・釈迦が存在した2000年前から大して精神的に成長していないように見えますし、いくら科学が発達して寿命を延ばすような神の真似事をした所で、人の心や精神が動物に近ければ、単に長生きができる動物になるだけで、百害あって一利もありません。王陽明はそのことを次のように語っています。
ただ世上の人は、都(すべ)て生身命子(身体生命)をとりて看来たりてはなはだ重きがために、まさに死すべきかまさに死すべからざるかを問わず、定(かなら)ず宛転委曲(上手に逃げる)して保全せんことを要(もと)む。(中略)もし天理(天の法則、人の道)に違わば、すなわち禽獣と異なるなし。すなわち生を盗みて世上に在ること百千年なるも、また百千年の禽獣となるに過ぎず。
王陽明『伝習録』より
解説:
人々の多くは、自分の命や生活が最も大事なために、必ず自己保身に走ります。もし、天の法則や人の道よりも自己保身を優先するならば、それは動物と変わりがなく、仮に医療技術が発達して百年や千年人類が長生きできるようになったとしても、動物が百年や千年長生きするに過ぎません。市ヶ谷の駐屯地で三島由紀夫が自決の直前に主張した「命より大切なもの」とは、多分ここからの引用じゃないでしょうか。
産業革命以来、自然を破壊しつつ文明が発展してここまで来たんですから、そろそろ人類の精神性も次の段階を模索すべき時に来ていると思います。したがって、ここ数十年引きこもりやニートが世界中で急増している社会現象についても、私は否定的に見ておらず、固定観念を打破して自分をしっかり持つためにも、世俗から離れて家に引きこもり自己修養することは、現実的で妥当な選択肢だと思っています。
病は故あって生じる訳で、近年多発している自然災害も人間の経済活動によって間接的に引き起こされている可能性がありますし、人類が際限のない自らの過ちを反省するために、自然が災害という目に見える形で私たちに警告を与えているんじゃないでしょうか。
資本主義や共産主義などの外面の社会システムを、いくら論じて改革した所で意味はありません。問題の本質は外にではなく、己自身にあります。人間の人間たる所以は、「世界に背を向けて自己の内部に入り込み、自分自身の内心に注意を向け、事物という他者ではなく自分自身に没頭することができる」という点にあることを忘れてはいけないと思います。
自己沈潜より生じる自己本位の生き方
「意志は内に向ふ」として、オルテガ同様に自己沈潜の要を強調した熊沢蕃山もまた、先天的に内気・内向的・高い感受性・自意識過剰といった気質を持っている人程、君子・器量人へと大成する素質があると言っています。ですから、我々は素晴らしい素質があることに変わりはないんですけれど、あくまで原石に過ぎませんので、己を磨かなければ決して光る事はありません。
ただし念のために付け加えておきますが、ここで言う大成とは「自得」や「知命」などの己に関する成功の事です。社会的・世俗的・外面的成功のことではありません。一般の多くの人達は成功した偉人の表面しか見ませんが、それらはあくまで結果論に過ぎず、本質とは程遠いことを十分に知っておく必要があります。近江聖人と言われた中江藤樹にしても、維新回天の原動力となった高杉晋作にしても、その指導者西郷隆盛にしても、皆名声・権力・富を得るために行動を起こしたわけではなく、天から与えられた「本性(良知または誠)」に従っただけです。
つまり、夏目漱石流に言えば「自己本位」に生きた人達、とも言えます。「自己本位」に生き、その上で「他人本位」にも生きた結果、その行動が多くの人のためになったという事でしょう。自分を大事にするからこそ他人にも優しくなれるんであって、己の問題を無視して人助けをしようなんて人を、私は信用しません。
また、より内向的で感受性の繊細な人ほど大きな素質と可能性を秘めているんですが、そういう人達ほど学問や修養をして「自得」する必要があります。そうしないと一生辛い人生を生きなければならず、心や精神が未熟なまま年齢を重ねてしまうと、最終的には気が狂ったり自殺する人も多いのではと感じます。場合によっては追い込まれて犯罪に手を染める人もいるでしょう。日本での自殺率の異常な高さは、多くの可能性を持った人たちが人知れず無用者としてこの世から消えていってしまう、悲しい現実を示唆しています。
私の如き感じ易きもの、特に病気にて感情が過敏になりて居るものは、此信念と云うものがなかりたならば、非常なる煩悶苦悩を免れぬことになると思われる。健康な人にても、苦悩の多き人には、是非此信念が必要であると思う。
『清沢満之集』より
似たような価値観を持った人たちしか認めず、重用しない社会構造は、平時には同類同士で居心地が良いでしょうが、有事には先駆者となるべきアウトサイダー的人材が少ないため、世の変化に対応できないかもしれません。生物として多様性を認めることこそが、あらゆる変化に対して生き残る最も確実な対策となります。その現実を一刻も早く、多くの人に気づいていただきたいと感じています。
下学して上達す
引きこもりやニートは、社会のレールから外れた落伍者として世間からは見られます。しかし、過去の偉人の中には人生の失敗者として、辛酸をなめる生き方をあえて選んだ人たちがいます。そのような人達の逸話を、ここで紹介したいと思います。学問の真髄の一つが「下学すること」にあるとわかるでしょう。
1. 世間的には失敗者と見られた孔子
孔子は中国人のみならず、日本人の価値観や考え方にも非常に大きな影響を与えた人物です。誰でも彼の名前くらいは聞いたことがあると思います。では、孔子の生涯がどのようなものだったかをご存知でしょうか?どんな人物像を思い浮かべるでしょうか。
私は最初孔子と聞いて、静寂な室内にお香を焚いて、門人に「道徳とは何か」を講義している姿を想像していました。また、儒教は政治と深く繋がっていますので(武士道など)、権力者の立場に立ちながら、彼らの治世に都合の良い教えを大衆に広めたという、あまり良くない先入観を持っていました。
しかし、孔子の書籍を読んでびっくりしたのは、彼が順風満帆な人生を送っていなかったということです。それどころか、彼の生涯は苦難の連続で、特に高い地位やお金を得たわけでもなく、どちらかと言うと世間的には失敗者として見做される一生でした。
人生の晩年に、孔子は周辺諸国を門人たちと10年以上歩いて回り、自らの理想を聞き入れて実践してくれる為政者を探し回りますが、結局誰も彼の思想を受け入れようとはしませんでした。
そのようにして放浪中の孔子を、「喪家の狗(宿無しの野良犬)」という言葉で世間が嘲笑したという言い伝えが残っています。聖人として崇められるようになったのは、彼の死後のことです。
そう考えると、孔子の次の言葉に重みを感じます。
「天を怨まず、人を咎めず、下学して上達す」
『論語』より
決して綺麗ごとではなく、彼は生涯を通して自分の信念を忠実に実行していたわけです。その事実を知った時、私の中の孔子のイメージが変わりました。
個人的には、孔子の若い頃がどうたったかをより詳しく知りたいです。いろいろ悩み多き青春だったのではと想像します。『論語』にも「三十にして立つ」と書いてあることから、30歳頃までは自分の思想や信念がはっきりとせず、いろいろ迷っていたんではないでしょうか。聖人と呼ばれる孔子でさえ自分を知るのに30歳までかかったんですから、凡人の私たちがその境地に至ること自体がすでに立派な事だと思います。
ちなみに、熊沢蕃山も上記の孔子の言を引用して、次のような言葉を残しています。
泰然として、人をも咎めず、天をも怨みず、炎暑に霍乱(日射病)して死するがごとく、極寒に吹雪にあたるがごとし。天道の陰陽・人道の順逆、其儀一なり。悦楽は順也、人の知らざるは逆なり。人生の境、様々ありといへども、順逆の二にもれず。小人は順にあふては奢り、逆にあふては悲しむ。春秋を常として夏冬なからんことをおもふがごとし。
『集義和書』より
2. 王族から乞食になって修養を始めた釈迦
次に、仏教を興した釈迦を紹介したいと思います。私は最初知らなかったんですが、釈迦が裕福な王族出身だったということをどれだけの人がご存じでしょうか。
彼は子供の頃から大事に育てられたので、青年になっても世間の事を良く知りませんでした。ある時、王様が社会勉強のためにと、従者と共に王宮の外を見て回るように言いました。彼は一度も外の世界を見たことがなかったので、見るもの触るもの全てが新鮮に感じ、興奮していたことは想像に難くありません。
しかし最初は楽しかったのですが、しばらく外を見て歩くといろんな人達を目にします。苦悶の表情をしている人(生)、病で苦しんでいる人(病)、年老いた人(老)、死んでいる人(死)などです。彼は外出の度に少しづつ恐怖を感じるようになってきました。そして、自分もいつかは彼らのように苦難を味わい、病になり、老い、そして死ぬのかと思うと、いてもたってもいられないような不安や恐怖に襲われました。
生きている以上、絶対逃れられないこれらの苦を『四苦(生病老死)』と呼びます。四苦から逃れる答えを探すために、彼は突然王族を辞めて、出家する決断をします。
そうやって、釈迦は人が羨む王族の地位を自ら捨て、乞食になりました。誰かを師として教えを乞うたり、長年自己修養を続けている内に、いつの間にか彼の周りには付き従う人が出てきました。それが「原始仏教」の始まりです。
3. 脱藩をしてまで故郷に帰った中江藤樹
最後は中江藤樹を紹介します。彼の祖父は武士だったのですが、父親は祖父から家督を受け継ぐことを否定して百姓になりました。ですから、藤樹は百姓の子として生を受け、幼少期もそのようにして育てられました。
しかし、藤樹の祖父は後継ぎが欲しかったので、百姓をしていた父母から半ば強引に藤樹を養子として引き取りました。そこから彼の武士としての生活が始まります。儒教の『大学』から学び始め、だんだんと儒者として勉学を深めていきました。
当時はまだ、戦国武士道の考え方が幅を利かしており、学問は軽視される風潮がありました。そのため、藤樹は文弱の徒として見下されることも少なくありませんでした。
20代になり、武士社会に対して深刻なストレスを感じ始めると、彼の性格はだんだんとトゲトゲしくなっていきます。そして周囲の人達からは、「圭角の人(角を持った人)」と厄介者扱いされるようになり、この時に、同僚に「孔子様」と馬鹿にされて罵詈雑言を吐いたり、朱子学の権威だった林羅山を徹底的にこき下ろす論文を書いたりして問題になりました。
20代の後半になると、母親の面倒を看たいという理由で、上司にお暇を頂けるように嘆願書を書くのですが、それが聞き入れられないと分かると、脱藩を決意します。脱藩とは主君を裏切る行為ですから、忠誠を誓っている武士からすれば死罪になってもおかしくない重罪です。彼は死を覚悟して脱藩しましたが、いくら待っても追手は来ず、そのため故郷の近江に帰ることにしました。
後に村落教師となった藤樹の講義を受けるために、農民や町民のみならず、脱藩した藩を含めて全国から何人も武士が訪れたと言います。
大橋健二氏によると、藤樹や彼の父親は、武士という集団社会の中では生きづらい性格を生まれつき持っていたのではないか、と書いています。実際、藤樹は村落教師になった後に、武士だった頃のつらい心境を書いているため、多分そうなんだと思います。
また、大橋氏は中江藤樹を「聖人」と呼んで、あまり神聖視すべきではないとも言っています。私もそれには同感で、中江藤樹はあくまでも一個の人間として切磋琢磨しながら生きたのであって、私たち一般人の手の届かない存在では決してありません。
彼の生きてきた人生を時間軸で知るには、下記リンクにある『小説 中江藤樹』が良いと思います。ただし、上巻の内容はほぼ若い頃の逸話に終始しており、ちょっと冗長過ぎるような気がしましたので、個人的には下巻のみお勧めします。
中江藤樹は死を覚悟してまで脱藩することによって、自分本来の生き方の糸口を見つけました。ここで、河井継之助が在塾中(30歳の頃)に同じ塾生の鈴木少年(17歳)に教えた彼の死生観を紹介します。
人間といふものは、棺桶の中に入れられて、上から蓋をされ、釘を打たれ、土の中に埋められて、夫(それ)からの心でなければ何の役にも立たぬ。今の世間一般で心と思ふものは、真の心ではない。今世間で心と云ふのは、殺し抜いて仕舞って見ないと心で無いものを心として物を想像するのであるから、曲った定規で物を裁つ様な者である。裁てば裁つ程曲る。此本源から着手して往かなければ善い事をしても、皆上辺の事になって仕舞ふ。天下を経綸しても、根本から改造することは到底六ヶ敷(むずかし)い。
人間は死の恐怖というものを乗り越え、根源から着手しないと何の意味もないと言っています。非常に厳しい言葉ですが、実際、中江藤樹は命を懸けることで、新たな自分を発見することが出来ました。私はまだこの境地には程遠いですが、正しいことを言っていると思います。
引きこもりの1割でも発奮奮起すれば、日本は変わる
現在、日本には引きこもりやニートが軽く100万人以上いるというニュースを見ました。これは深刻な社会問題の一つとして、いろんな場所で議論になります。
その際、原因を引きこもりやニート個人に帰する風潮が非常に多いことに驚かされます。彼らをどう社会的・医学的に処置し、元の社会に復帰させるかという議論ばかりです。そこには同じ人間としての尊厳が感じられません。元の社会で居場所がなかったから、結果的に引きこもりになったという可能性は考えないんでしょうか?
もちろん、私自身を省みても、元々心が弱く感受性が強いので、そういう弱くて敏感な人間が挫折しやすいのは当たり前です。しかし、個人の弱い部分は他人がどうこうできることではありません。
個人の問題は個人で解決するしかありませんが、社会の問題は個人と社会の両面で解決していくことが必要です。ですから、他人ができることは、この現代社会をどのように良くしていくかという議論なのではないでしょうか?個人をどうにかしようとしても、ロバに馬の引き具を着けるようなもので、うまくはいきません。
また、この問題は日本のみならずイギリスや韓国など世界中で見られる現象であり、決して個人だけに原因を帰することはできません。精神科医の方たちは、医者の立場から社会の問題点に警笛を鳴らすという事がなぜできないのかと感じます。個人と社会を分けて考えていれば、問題解決の本質的な糸口が見えてこないのも当然です。
仮に、引きこもりの1割でも志士を目指して発奮奮起したとしたら、全国に少なくとも10万人以上の「志士」が誕生することになります。もしそうなれば、日本も大きく変わるはずです。私が日本の将来に光明を見い出すとすれば、この10万人の志士が鍵になります。そこから日本人全体に感化が拡がっていけば、現在のあらゆる問題に対する根本解決の現実味が帯びてくると思います。
「癖なくして千里をゆく馬は世に稀ならん。人も賢人君子ならざるよりは、みな疵ものなり。疵の大なるほど大わざの出来るものなり。この疵ものをあつめ、その気をひきたててつかはば、富有大業うたがひなし」
寺尾英量編『幕末之名士金子与三郎』
金子与三郎は、人間は皆傷ものだと言っています。現代社会では傷を持たない人間を尊重しますが、キズがないという事は良い面もあるでしょうけど、悪く言えば自他の痛みを知らないとも言えます。
高杉晋作が結成した「奇兵隊」の「奇兵」とは、キズものの兵士達のことを指しているんだと思うんですが、キズもの達を束ねる高杉晋作の器量とは、如何ほどの物だったんでしょうか。少なくとも、凡人に務まる役割ではなかったでしょう。
まとめ
ここでは、引きこもりやニートに焦点を絞って書いてみました。金子与三郎も言っているように、キズがあるからこその強みもあるんです。
過去の偉人達の逸話を読んでも、皆がとんとん拍子で名声を得たわけではないことがわかります。特に孔子が有名になったのは彼の死後のことであって、生前は世間から失敗者として見られていました。それでも、孔子は一生をかけて自分の道を歩み続けました。その信念の力はどこから得られたのでしょうか。私はたゆまぬ自己修養のおかげだと思います。
失敗したら、また立ち上がればいいんです。失敗のない人間に大きな成長はありません。周囲から馬鹿にされたり嘲笑されようと、自分だけの真実を見つけ、生きていくことが重要だと思います。